武定
博武
文武
徳川家康個人の男系子孫たる徳川氏諸家は、松平の名乗りのみを認められた家康子孫の諸松平家(越前松平家・会津松平家等)とともに親藩を構成し、江戸時代の約270年に渡って日本の支配層として君臨した。明治維新の後も、徳川氏は武家の最上流として華族に遇せられ、宗家は公爵、御三家は侯爵、御三卿は伯爵に列せられ、また第15代将軍だった徳川慶喜は宗家から別家して徳川慶喜家を創設し、同じく公爵を授けられて伝統的な地位を保った。現在、徳川家康の子孫で徳川を姓とする家は次の9家とその別家である。
徳川将軍家(将軍家。徳川宗家)
尾張徳川家(御三家)
紀州徳川家( 〃 )
水戸徳川家( 〃 )
一橋徳川家(御三卿)
田安徳川家( 〃 )
清水徳川家( 〃 )
徳川慶喜家(宗家別家)
松戸徳川家(水戸徳川家分家)
現在の子孫は、徳川・松平一門の会に所属し、その会員数は約600名である。 他方、次の家は絶家した。近年の研究では徳川姓ではなく、松平姓を名乗っていたらしい。[要出典]
駿河徳川家(当主徳川忠長が切腹して断絶。)[2]
甲府徳川家(御両典)(二代当主徳川綱豊が六代将軍を継いだため消滅。)[2]
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更新日時:2008年8月4日(月)03:20
取得日時:2008/08/17 20:23