英語とドイツ語以外のヨーロッパ諸言語における「復活祭」という言葉は、すべてギリシャ語の「パスハ(Π?σχα)」に由来しており、その言葉も元をたどれば、アラム語の「パスハ(pascha)」で、これはユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭り」を表す「ペサハ」(Pesach)というヘブライ語の言葉から来ている。つまり、キリスト教の復活祭がユダヤ教の「過越の祭り」から生まれた祝い日であることを示している。ギリシャ正教会で復活大祭を「パスハ(Π?σχα)」と呼ぶのは勿論のこと、ロシア正教会・ロシア語でも復活大祭はヘブライ語・ギリシャ語起源の「パスハ(Пасха)」と呼ばれ、日本正教会でも復活大祭をパスハと呼ぶ。
一方、復活祭を表す英語「イースター(Easter)」およびドイツ語「オステルン(Ostern)」はゲルマン神話の春の女神「エオストレ(Eostre)」の名前、あるいはゲルマン人の用いた春の月名「エオストレモナト(Eostremonat)」に由来しているといわれる。8世紀の教会史家ベーダ・ヴェネラビリスはゲルマン人が「エオストレモナト」に春の到来を祝う祭りをおこなっていたことを記録している。実際、復活祭の習慣の中には、このゲルマン人の祭りに由来すると思われるものもある。たとえば、復活祭に色をつけた卵を配るイースター・エッグや多産の象徴であるウサギ(イースターバニー)が復活祭のシンボルとされていることがそうであると考えられる(「習合」を参照)。
復活祭の日付について計算方法についてはコンプトゥスを参照。
復活祭の日付、2000年-2020年年西方教会東方教会
2000年4月23日4月30日
2001年4月15日
2002年3月31日5月5日
2003年4月20日4月27日
2004年4月11日
2005年3月27日5月1日
2006年4月16日4月23日
2007年4月8日
2008年3月23日4月27日
2009年4月12日4月19日
2010年4月4日
2011年4月24日
2012年4月8日4月15日
2013年3月31日5月5日
2014年4月20日
2015年4月5日4月12日
2016年3月27日5月1日
2017年4月16日
2018年4月1日4月8日
2019年4月21日4月28日
2020年4月12日4月19日
復活祭は移動祝日といわれ、もともと太陰暦にしたがって決められた日であったため、太陽暦では年によって日付が変わる。グレゴリオ暦を用いる西方教会では、復活祭は3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日、ユリウス暦を用いる東方教会では、復活祭は2010年まではグレゴリオ暦の4月4日から5月8日の間のいずれかの日曜日に祝われる。国によってはキリスト教の習慣に従って翌日の月曜日も休日にすることがある。
もともとは復活祭はユダヤ教の過越の祭りと同じ日に祝われていたと考えられている。過越の祭りはユダヤ教の暦で「ニサンの月」(3月〜4月にあたる月)の14日に固定されている。しかしキリスト教がユダヤ教から離れ、各地に広まっていく中で、復活祭をいつ祝うかということで2世紀頃から論争が起こることになった。これを「パスカ論争」という。
すなわち小アジアの教会はユダヤ教以来の伝統に従ってニサンの月の14日をパスカ(復活祭)として祝っていたため、平日に祝われることもあった。一方、ローマをはじめ多くの教会ではイエスが復活した日曜日を主イエスの日として優先するため、復活祭(パスカ)も復活の日である「ニサンの月の14日の後の最初の日曜日」に祝う習慣であった。初期キリスト教では、各地方に根付いた習慣は排斥されることがなく、論争の過程でも、むしろそれぞれの地方の慣習と伝承を尊重することが勧告されたが、やがてどちらか一方に統一しようという動きが強まった。
325年におこなわれた第1ニカイア公会議は小アジアの教会の主張を退け、全教会で復活祭を同じ日曜日に祝うことを決議した(残念ながらこの公会議の文書資料は残されていない)。そこで、復活祭を決定する権限は誰にあるのかという問題が起こってきた。公会議はとりあえずアレクサンドリアの教会に復活祭の日付の決定をゆだねている。なぜなら当時アレクサンドリアが地中海世界でもっとも学問の盛んな都市だったためである。
アレクサンドリアの教会では、復活祭は「(太陽暦でいうところの)3月21日以降で最も早い(太陰暦の)14日の次の日曜日」に祝う習慣であったため、東方の教会は第1ニカイア公会議の決定に従ってこのアレクサンドリア方式を採用した。しかし、この決定方法は非常にわかりにくいものだったので中世になるとこれが「復活祭は春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」という表現に変化していった。
一方西方のローマ教会は6世紀までは独自の方法で復活祭を算出していたが、アレクサンドリアの教会の手法を(ローマで用いられていた)ユリウス暦に適応させる方法がディオニュシウス・エクシグウスによって編み出されたことでようやくその決定法を採用することになった。イギリスやフランスなどの各地でも当初はローマ式の方法が採用されていたが、やがてディオニュシウスの方法が採用され、ようやく復活祭の日付がヨーロッパの全キリスト教会で統一されることになった。しかし、16世紀になって西欧社会がグレゴリオ暦を採用したことで、ユリウス暦を用いつづけた東方教会との間で再び復活祭がくい違うという現象が起こるようになった。
1997年にシリアのアレッポでキリスト教諸派の代表が集まっておこなわれた世界キリスト教協議会では復活祭の日付の確定法の再検討と全キリスト教における復活祭の日付の統一が提案された。この問題は現在でも協議が続けられているが、いまだに統一には至っていない。
ある人々は復活祭の日付が移動することや教派によって日付が異なることの不便を解消するため、思い切って月齢と復活祭を切り離すことを提案している。たとえば4月の第二日曜日に固定するなどの意見が出されているが、まだ広範な支持を受けるまでには至っていない。