聖体礼儀を含む復活大祭の奉神礼(典礼)は、土曜日から日曜日へと日付の変わる真夜中に行われる。ほとんどの教会で、復活大祭は、教会暦上は前日である聖大スボタ(土曜日)の徹夜課から引き続いて行われ、早課のあと、聖体礼儀を行う。早課のあと時課を続けて行うところも多い。
復活大祭の奉神礼を真夜中に行うことで、このもっとも重大な祭(祭の祭)を行うにあたり、その日に他の祭を先立って行わないことを確実なものにしている。
聖スボタの夜半課(やはんか)の最後に、聖堂に安置されていた眠りの聖像が王門から至聖所に運びこまれ、王門が閉じられると、神品は衣服を改め、堂内の照明はおとされて代わりにともされた蝋燭から、信者はそれぞれ燭をわかちあう。信者はみな聖堂から退出し、教会の外で十字行(十字架をかかげた教役者を先頭に信者が聖歌を歌いながら行列を行う)を行う。
聖堂を三周したのち、一同は聖堂正面にたち、司祭と聖歌隊の交唱により讃歌が歌われる。司祭は67聖詠(詩篇68)の冒頭に基づく讃歌を歌い、聖歌隊はその節ごとにパスハのトロパリ(後述)を歌う。復活祭ではじめてパスハのトロパリが歌われる時である。神は興き、其仇は散るべし、彼を悪む者は其顔(かんばせ)より逃ぐべし。煙の散るが如く、爾彼等を散らし給へ、蝋の火に因りて融くるが如く、斯く悪人等は神の顔に因りて亡ぶべし。惟義人等は楽み、神の前に欣ふべし。主は此日を作れり、欣びてこれを祝ふべし。
そののち司祭が「ハリストス復活」と唱すると、信者が「実に復活」(じつにふっかつ)と応じる(ハリストスは他派でいう「キリスト」に相当。日本ハリストス正教会の項を参照)。この応答は復活大祭の奉神礼においてはつねに三度繰り返される。こののち、一同はパスハのトロパリ(讃歌)を歌いながら聖堂内に入り、蝋燭を献じ、またそれとは別に各人が手に灯した蝋燭をもち、奉神礼に参加する。なお国によってはこの蝋燭を灯したまま家に持ち帰り、家庭の火をそれによって灯す。
早課ではダマスコの聖イオアンの詞による八つの歌頌が歌われる。教区によってはこのあと時課を続ける。このなかで聖師父金口イオアンの「復活祭の説教」が朗読される。
また卵の成聖も早課が終わって以降に行われる。なお大斎中節制の対象であった食物(肉や卵など)は復活大祭の奉神礼が終わった後にはじめて食される。
聖体礼儀は金口イオアンの聖体礼儀による。最初の大連祷に先立ち、パスハのトロパリが歌われる。また「聖三祝文」の代わりに洗礼式の讃歌である「ハリストスによって洗を受けし者、ハリストスを着たり、アリルイヤ」(ガラテヤ書3:27)が歌われる。「ハリストスに洗を受けし者」を歌うのは、伝統的にこうした大祭日において成人のための洗礼が行われたことに由来する。
朗読では『使徒行伝』と『ヨハネによる福音書』の冒頭が読み上げられる。外国人のいる教区では、福音朗読は複数の言語で行われる。また生神女マリヤにも通常の時期とは違う特別の讃歌「恩寵を満ち蒙る者や」や「神の使い慈しみを満ち蒙る者に呼んで曰く」(生神女福音:受胎告知の意)、「新たなるイェルサリム」が捧げられる。
聖変化や領聖祝文のように、通常はひざまずいたり叩拝(頭を地につけて拝む)する場面でも、復活祭期においては、立った姿勢のままを保ち、頭を下げる程度で敬意を示す。これは正教会において立つ姿勢が歓びを表すことによる。
聖像復活祭のイコン、16世紀、ロシア。黄泉に下ったハリストス(中央)が死を踏み破り、アダム(左)を引き上げている。右にはエワ。後ろには列祖と預言者たち。上には天使がいる。
ロースキーによれば、復活大祭で用いる聖像(イコン)には2種類がある。ひとつは、ハリストスが黄泉に下り、死を踏みつけにし、人祖アダムとエワの二人の手を取って引き上げるというものである(冒頭図像参照)。周囲を、これも黄泉にいる預言者とダヴィド(ダビデ)以下歴代の諸王が取り囲んで賛美する。アダムとエワを含めて、彼らはみな聖人として光背を描かれている。黄泉は岩山の中の洞窟のように描かれる。
もうひとつは、携香女と呼ばれる女弟子が、ハリストスの墓を訪ねていったところ、ハリストスはすでに墓におらず、かわりに天使に会う場面を描いたものである。
イコンによってはこの二つの場面を合成したものもある。
復活大祭の後、昇天祭までの40日間の時期を、復活祭期と呼ぶ。ハリストスが弟子たちとともにいた期間の象りであり、人によっては復活祭期をも復活祭と呼ぶ。歓びの時期であり、この期間は復活大祭と同様、祈祷はつねに立って行う(叩拝したり跪いて祈ることをしない)。
復活大祭の後の一週間は特に光明週間と呼び、この間はイコノスタシス中央の王門が開いたままにされる。光明週間の間は斎(ものいみ)が解禁となり、水曜日や金曜日の食事の節制は行われない。
復活祭期の間も、復活祭のいくつかの要素が引き続き用いられる。通常の時期と異なり、祈祷の開始には「天の王」(聖神への祈り)のかわりに「#復活のトロパリ」、祈祷の終了のマリヤへの讃歌は「常に福(つねにさいわい)」のかわりに「#新たなるイェルサリム」を用いる。
「ハリストス復活」「実に復活」の応答は復活祭期の間、正教徒の間では、あいさつとして用いられる。このようにして、いわば40日間がひとつの日であるように祝い続けられるのである。
復活祭の日付、2000年-2020年年西方教会東方教会
2000年4月23日4月30日
2001年4月15日
2002年3月31日5月5日
2003年4月20日4月27日
2004年4月11日
2005年3月27日5月1日
2006年4月16日4月23日
2007年4月8日
2008年3月23日4月27日
2009年4月12日4月19日
2010年4月4日
2011年4月24日
2012年4月8日4月15日
2013年3月31日5月5日
2014年4月20日
2015年4月5日4月12日
2016年3月27日5月1日
2017年4月16日
2018年4月1日4月8日
2019年4月21日4月28日
2020年4月12日4月19日
各年の日付の詳細については復活祭の項を参照。
上述の通り、第1ニカイア公会議の決定によって、春分の後の満月の直後の日曜日をもって復活大祭にあてる。一般には正教会ではユリウス暦の3月21日をもって春分とする。この場合、復活大祭の日付はグレゴリオ暦に換算して4月4日から5月9日までのいずれかの日曜日となる。
グレゴリオ暦を用いる西方教会とは復活祭の日付が一致しないことが多い。日付がずれる場合は、1週、2週、5週のうちいずれかとなる。
両教会の復活祭の日付は一致することもある。2007年の復活大祭は4月8日で東西教会共通である。一方前年2006年の復活大祭はグレゴリオ暦の4月23日にあたる(対して西方教会の復活祭は4月16日であった)。