地名
地名については『日本書紀』に「引島」とあるのが初出である。鎌倉時代の文献(『吾妻鏡』など)に、「彦島」と表記されたものがあり、「引島」と「彦島」と二通りの表記が共用されながら、やがて「彦島」に統一されるようになった。なぜ「彦島」に統一されたのかは諸説あるが、一例として、「壇ノ浦の戦いの時に、『引は武士にとって縁起が悪い』とされ彦島に改められた」という説がある。(参考文献『下関の地名(増補改訂版)』)
彦島を指して『ひこっとらんど』(スコットランドをもじったもの)、彦島在住者を『ひこっと』と呼ぶことがある。冗談で使用されることが多い用語であるが、侮蔑したニュアンスを少なからず含むため、その語の使用に不快を感じる彦島在住者がいる。
なお、『ひこっとらんど』については、島内にある西山海水浴場の愛称として採用された。しかし、その語が愛称として適切であるかを含め、愛称決定に疑問が残るという意見がある。(この決定は公募投票によるものだが、決定されたものに対する島民の投票割合は決して高くないと容易に推測できる程である)。
史的エピソード
瀬戸内海の制海権を握った平家にとって重要な拠点の一つであり、実際に壇ノ浦の戦いの際には平家が本陣を置いた。また、平家ゆかりの話としては、厳島神社の建設にあたって安芸宮島と並んで最終候補地になったが『七里七浦七曲がり』の条件のうち、僅かに長さが足りずに選ばれなかったとも伝えられる。
保元の乱に敗れた河野通次、源平合戦に敗れた平家の残党が彦島に移住し、彦島開拓の礎を築いた。彼らは、河野通次を筆頭に『彦島十二苗祖(びょうそ)』と呼ばれる。現在彦島において『河野』姓や『百合野』姓を持つ世帯が他地域と比較して際立って多く存在するのは、そういった背景があるためである。
幕末、下関戦争の講和条約の際に香港の如く租借地になりかけたが、正使の高杉晋作が突っぱねたため助かったとされる(宍戸桂馬に扮してイギリスのクーパーと交渉)。実際には藩主から『租借もやむなし』と言われていたが、これを託かった通訳の伊藤博文が高杉に伝えなかったためという説(後の伊藤自身による回顧)や、そもそもイギリス側からそんな話は出なかったという説(イギリス側の会議議事録)もあり、判然としない。[要出典]
観光南風泊市場ひこしま風丸くん
南風泊(はえどまり)市場…フグの取扱量全国一位。
ひこっとらんどマリンビーチ(西山海水浴場)
老の山公園
彦島南公園
ナイスビューパーク(風車、休憩所など)
彦島八幡宮
公共施設・機関
山口県立下関中等教育学校
下関市立彦島図書館
彦島公民館
下関警察署彦島幹部交番
下関市西消防署
彦島地区公園
彦島体育館
芸能人
コシバKEN(ET-KING)
田村淳(お笑いタレント・ロンドンブーツ1号2号)
松田優作
山下真司