平成15年度の日本では年2,472件の強姦が発生しており、昭和39年に8,900件を記録したのを最後に激減し[1]、平成以降数値はほぼ横ばい状態である。[2]人口10万人あたりの発生件数は1.2で、アメリカ合衆国37.0[3]、韓国11.0、ニュージーランド7.46、台湾4.08であり[4]、また、2007年の韓国での人口10万人あたりの10代の強姦犯は米国の2倍・日本の10倍となっている[5]。 しかし、アメリカでは女性たちが泣き寝入りせずに被害届けを出す件数が多く、日本では女性たちが泣き寝入りをする場合も多いので、日本でのレイプ事件は数値よりも多い可能性も否定できない。
日本の報道などでは、次の理由により「強かん」と表記されることもある。
「姦」の漢字が常用漢字ではないため、あまり見慣れない
「姦」の漢字が女性差別的であるとして、使用を避けるべきという主張がフェミニストなどからなされることがある
(漢字の熟語の一部をかなで表記する「まぜがき」に対する批判は、識者の間に根強くある)
以上の理由に加え、被害者やその親族等に対する配慮からも、新聞・ニュースなどの報道上では「強姦」「強かん」という語はほとんど使われることはなく、代わりに「婦女暴行」、さらに略して「暴行」と置き換えられることが多いが[6]、単なる「暴行」では刑法第208条の「暴行罪」と混同し、比較的刑の軽い犯罪行為という誤った解釈がなされることがあるため、注意が必要である。
「乱暴」というさらに弱めた表現も見られる。最も刑法第208条の暴行罪による事件が報じられるケースなどほとんどないため、新聞などで「女性へ暴行」「〜による集団暴行」のような見出しがあれば、強姦罪(または強制わいせつ罪)のことと考えても差し支えない。
ただし、「強姦」と「暴行」では、語感に相当な開きがあり、「暴行」では被疑者の悪性を希薄化することにもつながり、最近では「強姦」と表記するメディアも増えてきた。
また週刊誌や小説などでは凌辱(陵辱)や英語のレイプ(rape)という表現が用いられることもある。
なお、「強姦」という語が本来もつ意味は「双方の合意なしに行われる姦通(配偶者以外のものと行う性行為)」である(対義語は「双方の合意の上で行われる姦通」を意味する「和姦」)が、現在は広く相手の合意なしに行われる性行為一般を指す場合がほとんどである(夫婦間であっても強姦罪は成立する)。
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詳細は強姦の歴史を参照「ブルガリアの殉教女達」 - オスマン帝国の兵士による、ブルガリア人女性に対する強姦を描いた絵画(1877年作)。背景に描かれたイコノスタス・床に転がった振り香炉・破壊された燭台から、ここがブルガリア正教会の聖堂の中であり、聖堂に逃げていた女性がレイプされるシーンである事が分かる。敵国に攻め込まれた市民が最後に聖堂に立て篭もる事は大陸ではよく行われたが、侵略軍が規律の薄いものだった場合、現地の宗教心も踏みにじり、宗教施設でまでこのような残虐行為を行う事も珍しく無かった。なおこの絵画の作者コンスタンチン・マコフスキー( ⇒Konstantin Makovsky)はロシアの移動派の一人である。
性的暴力は、少数民族や奴隷、先住民、難民、貧困層また大規模災害などによって生まれた社会的弱者に対して行われたり、刑務所や収容所内、そして戦時下においてしばしば行われてきた。内乱や戦時下では大規模な集団レイプもしばしば発生する(戦時性暴力)。また、非戦時下においても、権力者による性の専横、例として西欧領主の初夜権などがある。
古来、征服された民族の女性の運命は過酷であった。最も有名なのはモンゴル帝国の創始者チンギス・ハーンとその係累・後裔であろう。モンゴル帝国による降伏勧告を受け入れず抵抗の後征服された都市はことごとく破壊・略奪・殺戮され、女性も戦利品として王侯・軍隊などの権力者以下にあてがわれた。また、これに先立つ遊牧騎馬民族王朝の金は、北宋を滅ぼした際(靖康の変)、北宋の皇族女性全てと、多くの貴族女性を捕え、これを金皇族・貴族の妾や娼婦にした。
世界各地の男性のY染色体を調べた結果、かつてのモンゴル帝国の版図に高率で共通の染色体が検出されたという話さえある(ブライアン・サイクス著『アダムの呪い』参照)(ただこれに関しては、金・モンゴル帝国以前からシルクロード一帯で勃興・滅亡を繰り返していたと言われる遊牧騎馬民族の西進がもたらした影響を割り引く必要がある)。
近代〜現代も、戦時下において各国軍隊による敵国女性へのレイプが少なからず発生した。第二次世界大戦以降ではアメリカ、ソ連、ドイツ、日本、韓国による大規模な強姦があったとされる(日本に関する事項については論争があるので、南京大虐殺、南京大虐殺論争、慰安婦等を参照されたい)。終戦後は、被占領地域において、戦勝国、特にソ連軍による日本人女性やドイツ人女性へのレイプが多発したという。ソ連の場合、兵士のフラストレーション解消のために、意図的に兵士の占領地での強姦を事実上放置した。これに対し、日本では一部の兵士による逸脱を未然に防ぐための策を「慰安所」という形で講じたため、逆に後世に倫理的批判を受けることになったのは歴史の皮肉であろう。ドイツの場合国土にソ連軍が侵入し、都市においては四分の一の女性がこの被害にあったとされる[7]。