広瀬登喜夫
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復活の神様

長らく雌伏の時を過ごした広瀬だったが、40代も半ばを迎えようとした頃から驚異的な復活を遂げた。当時のオートレース界は、長らく首座にあった競走車トライアンフが、英国のトライアンフ社倒産によって台数を減らし、変わってHKS社のニューフジ二気筒が徐々に台頭しだしてきた頃であった。
フジに乗り換えた広瀬はかつての強さを取り戻していったのである。特に1991年の第5回スーパースター王座決定戦では堂々と川口地区A級第一位で出場を決めた。このとき既に50歳。当時のオートレース選手で50歳といえば、昔の名前で客を楽しませる大ベテランというイメージが強く、特別競走(現在のSG)の優勝戦などの大舞台に駒を進める選手はほとんどいなかった。

しかし、1995年、またもや広瀬に災難が襲いかかる。この年、広瀬は落車事故で生死を彷徨うほどの大怪我を負ってしまったのである。年齢的なこともあり、一時は「もう神様もここが限界か」とさえ言われたが、翌年、奇跡的に復帰を遂げたのだった。


指導の神様

1997年SMAPからオートレーサーへの転向を表明し、オート界のみならずあらゆる方面において注目された森且行がデビュー。そして、広瀬が森の指導員になった。[5]
養成所で落車し負傷した影響で森のデビューは他の同期選手より3ヶ月遅れていた。そのため、デビュー直前に広瀬は地元の同門の選手を集めて森への「特訓」を試みた。この模様はNHKでも放映されるなどしたが、その時点で同期の若井友和(川口オートレース場所属)との走りに大きな差がみられることに広瀬は立腹していた。
そして、広瀬は森に対して猛特訓を続けた。この時、森はコーナーですぐにグリップを離すクセがあり、そのため直線部に入ってスピードが乗らないことを発見した。これは、スピードレースが主流になりつつあった当時では致命的なミスであった。この特訓では森のクセは治りきらず、不安を抱えたまま7月6日のデビュー戦を迎えることとなった。
しかし、森は本番で見違えるような走りを見せ、最後は約3万人の女性ファン(あくまでも「元SMAPの森且行」のファンであり、オートレースのファンではない者が大半であったが)を中心とした爆音を打ち消す黄色い大声援に見守られてデビュー戦で勝利を飾ったのである。

上記のように、広瀬の指導は厳しいものだった。しかし、森の時は年相応に人格が丸くなっていたとも言われる。過去に広瀬の門を叩いた選手は少なくない。しかし、広瀬の余りにも厳しい指導に音を上げてしまった選手が多く、従って、広瀬の弟子と呼べる選手は余り多くはなかった。


その後の神様

2003年に引退した広瀬はその後、解説者として積極的にテレビ出演を行った。元選手ゆえの的確な批評と予想、何より、タイヤやエンジンに関する話や昔の逸話は概ね好評を博した。また、2004年3月に川口で行われたSG第17回全日本選抜オートレースの初日には、既に使用されなくなって久しいトライアンフ、それも、かつて共に「川口四天王」と呼ばれた且元滋紀のかつての愛車「プリンス」号を駆って4周のデモ走行を行った。他にもトークショーを行うなど、引退してからも活躍は続いた。

余談だが、川口オートレース場のテーマソングぶっちぎりの青春のバックコーラスに広瀬が参加している。


脚注^ ダート時代に関しては詳細な記録が存在していない。仮にダート時代の成績を合算すると、2000勝・150vを軽く超えるとされる。
^ 当時の川口バンクは800メートル。
^ 当時の選手区分のひとつで、現在のS級に相当する
^ 実際、ほぼ同じ時期に逮捕されてしまった大井オートレース場のエース戸田茂司は、復帰することは叶わなかった。
^ 当初は且元滋紀が指導員となる予定だったが、選手間で「森争奪戦」が発生することを危惧した選手会から広瀬に依頼された。


関連項目

オートレース選手一覧



外部リンク

公式プロフィール (一部データ損失)


この「広瀬登喜夫」は、スポーツ関係者に関連した書きかけ項目です。この項目を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています(ポータル スポーツ/ウィキプロジェクト スポーツ人物伝)。
カテゴリ: スポーツ関係者関連のスタブ項目 | 愛知県出身の人物 | オートレース選手 | 1940年生

更新日時:2008年7月30日(水)15:42
取得日時:2008/08/12 09:27


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki