年齢主義と課程主義
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よくある誤認識

前述のように、年齢主義を取る制度では集団内に学力が異なる生徒が存在するという問題はよく注目されるが、それと同様に集団内に社会性や体格などが異なる生徒も存在するということにも注目しなければならない。生年月日を基準とした年齢主義を押し通すことは、むしろ知能年齢や肉体年齢や社会性の発達段階などの、いわば発達年齢の差を生むことになってしまう。もっとも課程主義でも社会性や体格ではなく学力に応じて学年が決まるため、この問題は課程主義にすれば解決するわけではないが、年齢主義で運用したとしても、異質になるのは学力だけではないという事にも留意すべきである。そもそも心理学的には、平均的に見ると社会性と知能・学力は一緒に発達するものであり、学力が高い生徒は知能や社会性も発達している例も多いため、むしろ課程主義の方が発達年齢が似通った生徒が集まる可能性もある。

課程主義の導入に対する懸念を持っている側からは、「課程主義を導入すれば、成績が悪いと原級留置になってしまうので、学校生活が窮屈になる」との批判があるが、課程主義は必ずしも成績が悪ければ強制的に原級留置をすることになる制度を意味するわけではない。進級基準の厳格化は学力低下の対策として万能ではなく、本人が原級留置に対して抵抗があるのに成績不良を理由として強制的に原級留置を行なうと、学習意欲が減衰したり不登校になったりするため、むしろ逆効果になることが予測できる。このため公立小中学校であれば、成績不良であっても強制的に原級留置にすることは避けるべきだとされている。実際に課程主義を取っているフランスでも、進級に当たっては本人や保護者の意見を聞くようになっている。また原級留置は欠席のために授業を受けられなかった場合や、外国からの帰国直後などで語学力が不足していた場合に限定すべきだといわれる。なぜなら、そういった理由があったために履修が困難だった場合は、原級留置後に十分な条件で授業を受けることによって対応できるが、1年間毎日出席して授業を受けているにも関わらず成績不良となった場合は、通常の授業では効果が薄かったことを意味するので、そういった生徒が全く同じ内容の授業を翌年にもう一度受けたとしても、効果的に学力が身に付くとは考えにくいからである。この観点からすれば、成績不良を理由とする原級留置の効果は薄いと考えられるので、学業不振の生徒に対しては、補習、カウンセリング特別支援教育の実施というように、個人にあった支援を検討するべきである。また、現行の原級留置制度は、1年を単位とする学年制のもとでは失うものが大きいという欠点もある。例えば約1年休学した生徒であれば原級留置になるのは迷わないが、半年間休学した生徒は、原級留置にするべきか、補習を受けつつ進級すべきか迷うという問題がある。ただし、成績不良の生徒であっても、8歳ごろまでであれば、生まれ月、出生時体重、幼稚園保育所就園の有無、家庭環境などで個人差が大きいため、現時点での成績が悪くても時間を与えることで個人差をカバーできると考えられるので、就学猶予と同様な考え方のもとに、原級留置によって発達を待つという考え方もある。

なお、課程主義の定義に対する混乱や知識不足から、財政面について誤った見解が出される場合もある。たとえば、「義務教育費国庫負担制度がある国では、義務教育期間に原級留置が行なわれると教育税が1年分余分に国庫から支出されてしまうため、原級留置の適用拡大は国家財政に負担を与える」という主張が時折見受けられる。しかしこの説は、「一定の課程を修了するまで無償の義務教育期間が終了しない」という制度を指している「義務教育終了基準についての課程主義」によって義務教育制度が運営されている場合であれば、原級留置が行なわれると義務教育期間が延長するので、正鵠を射ているのであるが、「一定の年齢に達するまで無償の義務教育期間が終了しない」という制度を指している「義務教育終了基準についての年齢主義」によって義務教育制度が運営されている場合には、原級留置が行なわれても一定年齢で義務教育期間が終了するため、的を射ていない説なのである。よって、上記のような主張を根拠とした「課程主義の導入は国家財政に負担を強いるので反対である」という意見は、「義務教育終了基準についての課程主義」を導入しようとすることに対する批判なのであれば当てはまるのであるが、「学習者が一定の課程を修了しなければ学年を進級させない」という制度を指している「進級基準についての課程主義」を導入しようとしていることに対する批判なのであれば、無関係なので当てはまらない批判なのである。要するに、義務教育期間の終了基準が年齢主義で運用されていれば、学齢超過者の授業料は原則として自己負担となるので、原級留置が増加しても財政面での負担は増加しないのである。また、飛び級も可能とする課程主義制度を取った場合は、たとえ義務教育期間の終了基準までも課程主義に変更しても、原級留置と飛び級がほぼ同数であれば、財政面の負担は変わらないと考えられる。


日本における歴史

江戸時代寺子屋で町民の子弟を教育していたが、ここには年齢による学年は存在せず、師匠生徒の進度にあわせて教育するという形態を取っていた。1868年明治1年)の明治維新の影響で、1872年(明治5年)に学制が公布されて近代的な学校制度が始まり、学齢児童の就学が行なわれた。学制下の下等小学と上等小学では、等級制という半年間のレベル別学級に分けた進度別編成が行なわれ、どちらの小学校も8等級あり修業年限は4年間であった。等級制のもとでは、月ごとの小試験、期末の中試験(進級試験)、学校末の大試験(卒業試験)によって厳密な進級卒業判定がなされた。当時のこの風景は今でも季語に残っており、「大試験 学年試験 進級試験 卒業試験 受験 及第 落第」が春の季語となっている。また飛び級も可能であったため、進級試験の際に数段階進級した生徒もおり、例えば夏目漱石は2回(学年制に直せば1年になる)の飛び級経験がある(ただしその後落第した)。また小学校入学年齢の下限は一応存在したが、厳密に守られていたわけではなく、寺田寅彦のように1年程度早期に入学する例もあった。

当時の学校は、同じ等級に属していても年齢はかなり隔たりがあった。一例を挙げれば、1877年の大分県の下等小学第八級(現在の小学1年前半の時期に相当)には2万2千人が在籍していたが、在学年齢は3歳6ヶ月から19歳2ヶ月までであった。また下等小学第二級(現在の小学4年前半の時期に相当)では540人が在籍していたが、年齢は8歳1ヶ月から18歳7ヶ月であった。このように、現代では幼稚園から大学に通っていてもおかしくない年齢層の人が同じ学級で学んでいたのである。勿論ながら、中学校や専門学校ではさらに年齢はばらばらだった。このように、年齢に縛られない明確な課程主義に基づく制度であった。

しかしながら、すぐに進級不可能な児童が下級に蓄積されていく一方であり、教員数などの面で教育に困難をきたしてしまった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen