トルストイを代表とする多くの作家・表現者が『戦争と平和』と言う題名の作品を著しているように、戦争は平和を破壊する重大な行為であると言う考えから、単純に戦争がない状態を意味して「平和」と呼ばれることがある。イマヌエル・カントの「永久平和のために」が平和に関する古典とされている。
平和を実現するためのモデル的な方法論はいくつかあるが、根本的な解決にはさまざまな要素により未だ至っていない。
強力な支配者が覇権を維持することによって秩序を保とうという覇権主義の考え方。
各人・各国がお互いの独立と権利と自由を最大限に尊重・保障しながら発展しようという国際協調主義の考え方。
複数の国家が連合した国際機関を介した集団安全保障によって実現しようという考え方。
例として
ローマ帝国が地中海世界で実現したパックス・ロマーナ。
国際連合や欧州連合が行っているさまざまな政治的、経済的、外交的な取り組み。
国際連合が設立当初目指していた安全保障理事会による集団安全保障体制。
西側と東側の核抑止による勢力均衡で成り立った両極体制。
などが挙げられる。
憲法学などの授業で使用する解釈として「武力による平和」と「武力なき平和」がある。「武力による平和」は武力の行使を「国防・自衛・狭義の安全保障」とする解釈である。これは最低限の武力を持ち必要に応じて行使することで平和を保とうという考え方であり、泥棒などの犯罪者が地域や家屋に侵入すればしかるべき装備で撃退するのは当然だという考え方に基づいていると言える。「武力なき平和」は「武力があるから戦いが起こる」とする解釈である。世界大戦をはじめとするかつての戦争の大半が「自衛」を口実とした侵略戦争だったことに基づき、全ての人々が一斉に武力を放棄することで平和を保とうという考え方である。しかし「武力」とは相対的なものである。現在武力とされているものを撤廃すると、現在のところ武力となりえないものが新たな武力して浮上する。銃は刀剣となり、刀剣はナタや包丁になり最終的には自らの拳さえも武力となるだろう。このような武力撤廃を繰り返した先に到達する「武力のない状態」というものがどのような状態であるのか示した具体象は提示されてはいない。大量破壊兵器を廃棄対象に限定するという考え方もあるが、反核運動の現状が示すように、これについても全世界的な廃棄に至る実効的プロセスは提示されていない。 以上の事から現在日本国では事実上の軍隊である自衛隊と米軍との日米安保による安全保障体制を敷いてる。このことが平和憲法とかい離しているという問題を抱え続けており、改憲運動と護憲運動が対立している。
仏教やサンスクリット哲学のように、内的状況の浄化によって、あらゆる嫌悪から自らを解き放とうとする形而上学的考え方が古くから在る。例:マハトマ・ガンディー
人類は歴史において継続的に争ってきた。史料が残っている6000年以内に発生した戦争だけに限ってもその回数は15000回以上であると考えられており、またドイツ社会学者のソローキンによれば12世紀から19世紀の間*大量破壊兵器の拡散は核兵器の開発技術、核物質、技術者が世界規模に拡散し、また比較的製造が簡単な生物兵器や化学兵器が世界各地に流通することであり、テロと結びつけば治安が大きく破壊される。また積極的な軍事攻撃を方針とする国家に渡れば、軍事力の不均衡をもたらす可能性がある。
民族・宗教・経済格差などの要因による紛争は歴史においても恒常的な戦争の誘因となってきた。国内における民族衝突や経済格差が深化すれば、国家間の戦争だけでなく、国内での内戦やクーデター、革命などに結びつく。しかし、すべての蜂起が最悪の結果に繋がったというわけではなく、民主主義を確立するための王制との争いは歴史的な視点に立てば一定の成果が得られたものである。しかし、いたずらに戦禍だけが拡大していき、結果的には経済的、政治的に大きな被害を受けることとなった事件も多々ある。その内容、性質、方向性などによって結果は変わらない
国連では、戦争に介入することによって平和を積極的に創造する取り組みを行っている。この主なものがPKF(国連平和維持軍:Peace-Keeping Forces)である。治安維持や一般市民への食料・医療の供給、停戦や、戦争を行う軍隊の撤退を手助けしている。この活動に対して、1988年にノーベル平和賞が贈られた。
その他
平和の象徴として有名なのが鳩とオリーブである。これについてはノアの方舟が関係している。(ノアの方舟であきらめかけたノアが放った鳩がオリーブを運んできて、陸地があることを示した。)
平和とは言いかねる状態が「交通戦争」「受験戦争」のように戦争になぞらえて表現されることがある。
「平和」を含む社名、道路名として、平和(パチンコ・パチスロメーカー)、平和不動産、平和堂、平和交通、平和通りなどがある。