岡田には軍人らしい英雄譚が皆無であり、「岡田啓介伝」にも伝記にふさわしいエピソードが無く、編者の苦労が感じられる。しかしながら、そのことは岡田が常識人であったことをうかがわせる。生涯を清貧で通した人物であり、総理大臣就任の際、記者たちに振舞う酒が買えず、「これで君たちの好きな酒を冷やしてくれ」と氷だけを配ったエピソードがある。また、岡田が就任時に着用したシルクハットも借り物であった。
福井市の中央公園に、岡田の銅像が建てられている。
二・二六事件のときも官邸に居合わせた、娘婿で総理秘書官の迫水久常は、大蔵官僚出身、後に参議院議員、経済企画庁長官、郵政大臣を歴任する政治家になっている。二・二六事件で死亡した高橋是清蔵相は、共立学校時代岡田の英語の先生だった。
年譜
1889年4月20日 - 海軍兵学校卒業(15期)。同期に、小栗孝三郎、竹下勇、財部彪。
1890年7月9日 - 海軍少尉に任官。
1892年12月21日 - 海大丙号学生
1894年12月9日 - 海軍大尉に進級。
1898年4月29日 - 海大乙種学生
1899年3月22日 - 海大甲種学生
9月29日 - 海軍少佐に進級。
1901年6月7日 - 海軍大学校教官。
1904年7月13日 - 海軍中佐に進級。
1906年5月11日 - 海軍水雷学校教官。
1908年9月25日 - 海軍大佐に進級。海軍水雷学校校長。
1910年7月25日 - 装甲巡洋艦春日艦長。
1912年12月1日 - 戦艦鹿島艦長。
1913年12月1日 - 海軍少将に進級。
1915年12月13日 - 海軍省人事局長。
1917年12月1日 - 海軍中将に進級。
1920年10月1日 - 艦政本部長。
1923年5月25日 - 海軍次官。
1924年6月11日 - 海軍大将に進級。軍事参議官。
12月1日 - 第一艦隊司令長官。連合艦隊司令長官。
1926年12月10日 - 横須賀鎮守府司令長官。
1927年4月20日、1932年5月26日 - 海軍大臣を拝命。
1933年1月21日 - 予備役編入。
1934年7月8日 - 内閣総理大臣及び拓務大臣(?1934年10月24日)を拝命。
1935年9月9日 - 逓信大臣を拝命(?9月12日)。
1936年3月9日 - 内閣総辞職。
1938年1月21日 - 退役。
著作
岡田貞寛 編『岡田啓介回顧録』(毎日新聞社、1950年)
(中公文庫、1987年、2001年改版) ISBN 4122038995
伝記
豊田穣『最後の重臣 岡田啓介 終戦和平に尽瘁した影の仕掛人の生涯』(光人社、1994年) ISBN 4769806744
仙石進『巨木は揺れた 岡田啓介の生涯』(近代文芸社、1994年) ISBN 4773332557
上坂紀夫『宰相岡田啓介の生涯 2・26事件から終戦工作』(東京新聞出版局、2001年) ISBN 4808307308
外部リンク
⇒岡田啓介 | 近代日本人の肖像
⇒岡田啓介について
⇒岡田啓介像
⇒近現代・系図ワールド
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