主な旧国名は、「飛騨国」「美濃国」であるが僅かに「越前国」「信濃国」の区域も含む。
旧越前国部分⇒1958年10月15日 福井県大野郡石徹白村の一部が岐阜県郡上郡白鳥町(現・郡上市)に編入
旧信濃国部分⇒1958年10月15日 長野県西筑摩郡神坂村の一部が岐阜県中津川市に編入(馬籠地区は山口村に編入)
旧信濃国部分⇒2005年2月13日 長野県木曽郡山口村が岐阜県中津川市に編入
市町村
42市町村(21市19町2村)がある。1987年、藤橋村(現揖斐川町)が徳山村を編入合併するまで100市町村であった。
県庁所在地の岐阜市は中核市に指定。
大垣市は平成の大合併により日本で唯一の二重飛び地を持つ市となった。
県北部には国内市町村の中では面積が日本一の高山市(2,177.67km2=東京都とほぼ同じ面積)がある。
2005年、中津川市は長野県木曽郡山口村を編入合併し、平成の大合併で唯一の越県合併となった。
自然公園
国立公園
中部山岳国立公園、白山国立公園
国定公園
飛騨木曽川国定公園、揖斐関ヶ原養老国定公園
県立自然公園
千本松原県立自然公園、揖斐県立自然公園、奥飛騨数河流葉県立自然公園、宇津江四十八滝県立自然公園、恵那峡県立自然公園、胞山県立自然公園、裏木曽県立自然公園、伊吹県立自然公園、土岐三国山県立自然公園、位山舟山県立自然公園、奥長良川県立自然公園、野麦県立自然公園、せせらぎ渓谷県立自然公園、天生県立自然公園、御嶽山県立自然公園
四世紀の中頃には、ヤマト政権の勢力下に入っていた。
美濃国は、日本のほぼ中心として、昔から雌雄を決する合戦の舞台となった。古くは大海人皇子がこの国を拠点に挙兵した壬申の乱(672年)があり、関ケ原町の藤古川付近で激戦が行われた。
中世に入ると、美濃国は土岐氏が、飛騨国は京極氏が守護を務める。戦国時代になると、美濃国は斎藤道三や織田信長の活躍の舞台となり、その後、徳川家康と石田三成による関ヶ原の戦い(1600年)も行われた。飛騨国は姉小路氏が支配し、その後羽柴秀吉に従った金森氏が支配した。
県名の由来 太田牛一の信長公記によると、織田信長が、美濃国を攻略した際に、稲葉山の城下の井口を岐阜と改めた。江戸時代中期の尾張藩の記録の安土創業録;名古屋市蓬左文庫蔵書(旧蓬左文庫所蔵・尾張徳川家蔵書)、濃陽志略(別名、濃州志略);国立公文書館所蔵にも信長命名とある。明治18年出版の岐阜志略;長瀬寛二著にも、岐阜二字之事、信長が始めて岐阜と命名し、その逸話の詳細に安土創業録の記述を引用している。
ただし、岐阜市案内;岐阜市教育会編:大正4では、一説には、古来、岐府、岐陽、岐山、岐下と書き、明応永正の頃より旧記に岐阜と見えたれば、信長の命名にあらずと、記載している。一説および旧記の出典は掲載がなく不明。
岐阜市史などでは、仁岫宗寿の仁岫録(成立年代不明):原題:当寺創建仁岫大和録:南泉寺(岐阜県山県郡大乗村):撮影・複本作成1921年・東大史料編纂所、万里周九の梅花無尽蔵;東大史料編纂所・国立公文書館など所蔵、東陽英朝の語録;1709年(寶永6年)刊・駒澤大学図書館、などに岐阜、岐阜陽、岐陽という語句があるという。
江戸時代、徳川幕府は豊かな美濃に強大な大名が生まれることを恐れ、美濃を小藩に分割した。最大でも大垣藩の10万石であった。その他に苗木藩、岩村藩、八幡藩、高富藩、加納藩、尾張藩附家老の竹腰氏の今尾藩、尾張藩分家の高須藩そして交代寄合旗本の竹中氏陣屋。飛騨国は、古くは大変貧しい国であったため租庸調の税を免れたが、その代わり、都で飛騨の匠としての大工の労役を課せられた。江戸時代は、当初飛騨高山藩の金森氏があったが、元禄期に木材や神岡鉱山に目をつけた幕府が金森氏を転封し、直轄の天領として統治した。
近・現代
1871年(明治4年)11月22日(旧暦) … 笠松県(1868年成立)と廃藩置県(1871年旧暦7月)でできた今尾県、岩村県、大垣県、加納県、郡上県、高富県、苗木県及び野村県が合併して岐阜県となる。