山本五十六
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生涯

明治17年(1884年)、新潟県長岡市で、旧越後長岡藩士・高野貞吉の六男として生まれる。その時の父親の年齢から「五十六」と名付けられた(ちなみに、母親も45歳と高齢だった)。当時のフルネームは高野五十六。長岡町立阪之上尋常小学校、旧制新潟県立長岡中学校卒業後、明治34年(1901年)に海軍兵学校に次席入学。

明治37年(1904年)、海軍兵学校を卒業。席次は7番。その直後日露戦争が勃発し、日本海海戦において少尉候補生として乗艦していた装甲巡洋艦日進」の艦上で、左手の人差指と中指を失う重傷を負う。

大正4年(1915年)、牧野忠篤子爵の口添えで、旧長岡藩家老の家柄である山本家を相続する(→「山本家の相続」の節を参照)。以後山本五十六を名乗る。大正5年(1916年)、海軍大学校を卒業。

海軍次官を経て、昭和14年(1939年)8月30日、 中将の山本は、聯合艦隊司令長官(兼第一艦隊司令長官)に就任する。次官当時からの懸案事項であった日独伊三国軍事同盟に最後まで反対する。航空機による時代の到来を予期し、大和の建造に反対し日米開戦にも反対していた。

またアメリカとの国力の違いも認識しており、昭和15年(1940年)、当時の総理大臣であった近衛文麿の『近衛日記』によると「余は日米戦争の場合、(山本)大将の見込みの如何を問ふた処、それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」(原文のまま)[1][2]と発言している。この発言は、国力差の見地で言われたと伝わっているが、本人が定年退職を1年後に控えているため、自分が指揮をとれば戦争に勝てるという意味であったとの説もある[要出典]。

開戦決定以後は短期決着のため、特に航空機に力を入れる。その結果、真珠湾攻撃に始まる、太平洋戦争初期は日本軍を有利に展開させ、国内では英雄として扱われる。

昭和17年6月、戦略目的の不明確なミッドウェー作戦を強行し、空母4隻とその全艦載機を喪失するという大敗北を喫した。その敗因には、赤城加賀蒼龍飛龍の空母4隻に、霧島榛名の戦艦2隻、重巡2隻、軽巡2隻、駆逐艦12隻の貧弱な護衛艦しかない南雲機動部隊、その540kmも後方に、大和長門陸奥の戦艦3隻、鳳翔千代田の空母2隻、水母、軽巡各1隻、駆逐艦22隻の主隊、および伊勢日向扶桑山城の戦艦4隻、軽巡1隻、駆逐艦12隻の警戒部隊からなる、山本率いる主力部隊、そして、金剛比叡の戦艦2隻、瑞鳳千歳の空母2隻、水母1隻、重巡8隻、軽巡2隻、駆逐艦21隻、輸送艦12隻の攻略部隊が続くという、戦艦重視の聯合艦隊の編隊や、龍驤隼鷹の空母2隻を中心とした部隊をアリューシャン方面に向かわせるという陽動作戦も挙げられる。しかし、指揮官の山本は軍法会議にかけられることなく、その後もその地位に留まった。山本の国葬 葬儀委員長は米内光政

昭和18年(1943年)4月18日、前線視察のため訪れていたブーゲンビル島上空で、米軍に通信文を傍受されたため乗機一式陸上攻撃機をアメリカ陸軍航空隊P-38戦闘機に撃墜され戦死した(海軍甲事件)。

山本の死は一ヶ月以上秘匿され、5月21日大本営発表で公になった。同年6月5日日比谷公園国葬が行われた。葬儀委員長は米内光政が務めた。また、ドイツより剣付柏葉騎士鉄十字章を授与(5月27日授与)される。この勲章の受章者は159名しかおらず、山本は唯一の外国人受章者である。

なお、山本は歴代の聯合艦隊司令長官で唯一の戦死者(山本の後任長官の古賀峯一大将は殉職扱い)である。

戒名は大義院殿誠忠長陵大居士。


年譜

1904年(明治37年): 海軍兵学校を卒業。日露戦争日本海海戦に参加し、指を失う。

1905年(明治38年)8月31日: 任海軍少尉

1907年(明治40年)9月28日: 任海軍中尉

1909年(明治42年)10月11日: 任海軍大尉

1910年(明治43年)12月1日: 海大乙種学生。

1914年(大正3年)12月1日: 海大甲種学生。

1915年(大正4年): 牧野忠篤子爵の口添えがあり山本家を相続(→「山本家の相続」の節を参照)。

12月13日: 任海軍少佐


1919年(大正8年)4月5日: アメリカ駐在、ハーバード大学に留学(?1921年5月5日)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki