アサルトライフルは、現代の歩兵が戦闘に用いるための小銃である。その名称はドイツ語のStrumgewehr(突撃銃)からきており日本でも突撃銃(とつげきじゅう)と訳されている。他の小銃との違いは、従前の小銃は長距離一斉射撃、または狙撃のために長大な有効射程を持つフルレングス・フルサイズ弾を使用していたが、想定交戦距離が短く300-400m程度で(ただし、以前の小銃の通常の想定交戦距離もこの程度である)、これに合わせて薬量が少なく弾丸重量も軽い小型弾薬を使うこと、連続して弾丸を発射できるフルオートまたはバースト機構が搭載されていること、そのために銃床と銃身との角度が小さい(直銃床である)ことなどである。すなわち、それまでの小銃の中・短距離における命中精度や可搬性を維持しつつ、短機関銃などで発揮される全自動発射での近接戦闘能力を両立させた小銃で、上記の自動・半自動小銃の機能を発展させた銃種である。本銃の登場により、歩兵の戦闘力や戦術が格段に向上・変革した。
近代のアサルトライフルは、軽量化や生産性・信頼性向上のために部品点数を必要最小限に留める設計思想に基づいている。また整備面においては、通常分解(フィールドストリップ)に特別な工具を必要とせず、アーミーナイフや実包などを使用して分解・整備・結合が行えるよう配慮されている。これにより、日常的整備や破損部品の交換等が迅速に行う事が出来る。
アサルトライフルの原型は、帝政ロシア時代に開発された世界初の連射可能なライフル銃であるフェデロフM1916である。しかし、日本軍の有坂6.5mm×50SR弾を使用すること(これ自体はフルレングス弾なので、現代的にはバトルライフルの分類となる)などから国内での評価は低く、世界初のアブトマット(アサルトライフル)の生産は少量に留まった。
帝政ロシアでは評価の低かったアサルトライフルだが、第二次世界大戦中その有効性に気付いたナチスドイツが開発したのがMP43/MP44である。アドルフ・ヒトラーは、これに兵士の士気を鼓舞するために「シュトゥルム・ゲヴェーア:Sturmgewehr(突撃銃)」と命名し、これが英語の「アサルトライフル:Assault Rifle」の由来になったとされる。命中精度に比較的優れ、現代の歩兵の一般的な武器端緒となった。なお、MP43/MP44は、1944年にStG44と改称されて、正式に突撃銃としてナチス・ドイツ軍に採用されている。
アサルトライフルは本来はフルオートの射撃が可能なもののはずだが、実際には初期のアサルトライフルは政治的問題によって7.62mmクラスの通常のライフルとほとんど変わりない威力の弾薬であり、軍用の標準装薬量(所謂「ミリタリーボール」)ではフルレングス弾と全く威力の変わらない実包を採用したために反動が大きくなり過ぎ、実用的なフルオート射撃が不可能なものが多かった。例えば英軍ではFALをL1A1として制式採用したもののフルオート機能を外したセミオートオンリーの事実上の自動小銃として配備した。西側世界で本来のフルオート機能を実用的に発揮させるようになったのは、5.56mmクラスの小口径弾が採用となってからである。一方で、小口径弾の威力と射程に不安を持ち、フルオート機能は実際には不要とする意見も多く、今までは中途半端と評価されてきた7.62mmクラスのアサルトライフルがバトルライフルという新しい呼び名で一部で再評価されつつある。
銃身を切り詰めて扱いやすくしたものはアサルトカービンまたは、カービンと呼ばれる。また、アサルトライフルを小型化して拳銃弾を撃てるようにしたものは、短機関銃(サブマシンガン)に分類される。また、イギリス軍のL86のように母体がアサルトライフル(L85)のまま、銃身を延長、脚をもうけただけの仕様で軽機関銃に分類されるものもある。こういったものは分隊支援火器に分類されることも多い。
H&K G3は7.62×51mm弾を使う事から、通常バトルライフルに分類される。しかしローラーロッキングによる反動軽減と命中精度により、フルオートでも使える銃であった(当時は「唯一7.62×51弾をフルオートで使えた銃」とも言われた)。そのため人によってバトルライフル、アサルトライフルとジャンル分けが別れている。
同じ事は64式7.62mm小銃にも当てはまり、二脚の標準装備と汎用機関銃と同等のストック、連射速度の遅さと装薬量の少なさから、分隊支援火器のように使うとフルオートで6連射6命中が可能な小銃であったため、条件は付くがフルオートで7.62×51を使える銃で有ったためにバトルライフル、アサルトライフル両方の名前で呼ばれる。
詳細はAK-47を参照
AK-47(Avtomat Kalashnikov-47)は、ソビエト技術者で、元戦車兵のミハイル・カラシニコフが開発したアサルトライフルである。そのため、AK-47系列の小銃はカラシニコフ銃とも呼ばれる。
第二次世界大戦後半、ドイツの開発したシュトゥルム・ゲヴェーアの威力を知ったカラシニコフは、自国でも同様の火器の必要性を感じ、新型小銃の開発プロジェクトに選ばれたことをきっかけに、開発に乗り出した。
カラシニコフの設計は、ドイツ軍のシュトゥルム・ゲヴェーアに影響を受けているが、別物に近いほど多くの改良が加えられており、結果、優れた銃が完成した。この銃は1947年にソ連軍にAK-47として採用された。
AK-47は採用後もプレス加工部品を増やして生産性が高められ、その後、改良型のAKMとなり、ドラグノフ狙撃銃など、アサルトライフルの範囲に留まらず多くの派生を生み出した。1974年には弾丸の口径を変更(7.62mmから5.45mm)し、AK-74に発展している。
AK系統の銃は内部に意図的に隙間を取ってあるため、北極圏の低温や砂漠の高温で起きる金属の伸縮にも耐え、製造時に部品の寸法に多少の誤差があっても許容できるため、製造技術の低い国でも量産が可能で信頼性も非常に高い。そのため東欧諸国や共産圏を中心に世界中で生産されるようになり、密造銃を含め全世界で約5億丁程度が流通していると見られる。
ただ、安価で性能の良い銃であることが裏目に出て、発展途上国の地域紛争に用いられるようになり、近年ではその被害が国際問題化している。中央アジアでは、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻の際、ムジャーヒディーンに大量供与され、その一人で、後にアメリカ同時多発テロ事件の首謀者として知られることになったオサマ・ビンラディンも愛用していることで知られる。AK-47がテロや紛争、犯罪行為などに使われる事について設計者のミハイル・カラシニコフ氏は遺憾の意を表明している。
詳細はM16を参照
M16は、ベトナム戦争中に採用されたアサルトライフルである。原型は著名な銃器設計技師であるユージン・ストーナーが開発したAR-10およびAR-15で、M16はこれを発展改良したものである。しかし、これらの銃が登場した1950年代、アメリカ軍はM14を配備したばかりで、軍部はM14が将来のアメリカ軍に広く用いられることを確信していたため、AR-10やAR-15は全く支持を得られず、空軍に少数配備されるに留まった。