名言
(ゴルフ場で女子大生に)「ボク、知ってる? コレ、コレ(額を掲げるまねをしながら)」
(景気低迷時の農地視察中、同行する記者の前で蕪を両手に持ち)「株上がれ〜」(あくまで、偶然だが本当に次の日の日経平均株価が上がった)
(ナイジェリアのイボ族では"オブチ"という単語が"It's god”という意味であると聞き)「俺も神様だ」
(大相撲で優勝した琴錦功宗のパーティーで)「群馬の名物は、カカア天下・コンニャク・空っ風・生糸とみな"K"がつくが、今回琴錦のKが加わった。私のケイゾウもKなのでよろしく」
("冷めたピザ"といわれ)「レンジでチンすれば温かくなる。みなさんもホットでクイックな小渕ブランドのピザを売ったらどうか」
(国会での強行採決を批判され)「多数決はいかんというが、選挙で得票の低い人から当選するとなったら、私を含めここにいる先生は全員落選してしまう」
(ズンドコ節で)「終戦講和は吉田さん、日ソ交渉鳩山さんで、今や竹下ふるさと創生、10年たったら小渕さん」
「小渕内閣は3日ももたんといわれていたのに3週間持ち、3ヶ月持ち、この間300日を越えました」
「人気の橋本、実力の小沢、そして人柄の小渕です」
(メジャーリーグでの始球式後)「小渕晴れだ」
(BBCのインタビューに答えて)「私はオブチだが、オプチミストだ」
(トキのユウユウ(優優)誕生時に)「私の娘の名前も優子といいます」
(自民党の党内情勢について記者に問われ)「じょせい?女性には縁がないよ」
(訪中について記者に質問され)「中国はあるよ。まだ存在している」
サミットを無難にこなすためなら、開催地は東京でも大阪、京都でもよかった。むしろ、東京から遠く離れ、今なお生活・産業基盤の整備がおくれている沖縄は避けるべきだという意見も当然あったはずです。ところが、君は毅然として、サミットの開催地を酷暑の沖縄に決断したのであります。
思えば、この沖縄サミットに、君の政治家としての誠実さが象徴的にあらわれています。君は、学生時代から何度も沖縄に足を運び、本土防衛のために二十三万人が犠牲となり、戦後は、アメリカの施政権のもとに、本土から切り離され、苦しい中で本土復帰を訴えた姿を目の当たりにして、沖縄への思いを心に刻みつけたと聞いています。
革新が、日米安保反対、沖縄の本土復帰を訴えて大規模なデモを組織した一九六〇年前後、君は保守の側で沖縄文化協会をつくり、沖縄問題への取り組みを始めていたのであります。
サミット開催に当たって無難を大事にするなら、若いころからの思いに目をつぶることでした。だが、やすきにつくため信念をあいまいにし沖縄の人々の痛みを無視することは、君には到底できない相談でした。だから、困難を承知で、あえて沖縄サミットに踏み切ったのです。その熱い思いが沖縄の人々をどれほど勇気づけているかは、立場こそ違え、長年沖縄問題に取り組んできた私には痛いほどわかります。
七月二十一日から二十三日にかけて沖縄を訪れる先進国の首脳たちは、亜熱帯の美しい海、高い空、濃い緑、それに豊かな文化と人々の優しい人情に目をみはることでしょう。多くのマスコミが沖縄を全世界に報道することで、工業国の印象が強い日本が実は多様な歴史と文化を持った国であることを、改めて認識し直すに違いありません。そして、あの美しい沖縄で苛烈な戦いがあった歴史に思いをはせるとき、世界の平和に重要な責任を有している先進国の首脳たちは、平和のたっとさを改めて心に刻むはずです。
君は、早稲田大学雄弁会に属していたが、決して多弁ではなかった。でも、朴訥な語りは、人々の心にしみ込む独特な説得力があった。もしも君が沖縄サミットを主催していたら、ホスト国の首相にもかかわらず、かなり控え目に沖縄を語ったことでありましょう。だが、君ならそれで十分だった。君の含羞を帯びた語りは、何物にも増して説得力を持ち、君は存在そのものが雄弁だった。そんな君の姿を見ながら、多くの国民は沖縄の痛みを改めて自分の痛みと感じたに違いない。
今となってはかなわぬ夢となってしまいましたが、沖縄に集まる首脳たちの輪の真ん中に、どうしても君にいてほしかった。この沖縄サミットだけは君の手で完結させてほしかった。それが、悔やんでも悔やみ切れない思いとなって、私の心に大きなひっかかりとなっているのです。
主な名称・キャッチコピー
がけっぷち内閣(土井たか子) ? 小渕の「ぶち」とがけっぷちの「ぷち」をかけている
泥舟内閣(加藤芳郎)
真空総理・真空器官(中曽根康弘)
スポンジ人間(竹村健一)
凡人・おだぶつさん(田中真紀子)
非凡人(小泉純一郎)
ボキャ貧(自称) ? 「ボキャブラリー貧弱」の略
イラ渕(自称)
日本一の借金王(自称)
冷めたピザ(タイム誌)
暗愚の帝王
平成おじさん
ケイゾー議員
鈍牛
猛牛
人柄の小渕
オブチッチ(田中康夫による命名)
交友関係
堀川とんこう 小学校の同級生。
内閣
内閣総理大臣
外務大臣
官房長官
総理府総務長官
沖縄開発庁長官
総理府総務副長官
郵政政務次官
建設政務次官
自由民主党での主な役職
自由民主党総裁 (1998-2000)
自由民主党副総裁 (1994)
自由民主党幹事長 (1991)
自由民主党副幹事長
自由民主党国会対策副委員長
自由民主党総務
自由民主党顧問
自由民主党青年部長
自由民主党学生部幹事
自由民主党政調対外経済協力特別委員会副委員長
自由民主党こんにゃく対策議員懇談会代表世話人
自由民主党電気通信問題調査会長
自由民主党都市公園緑地対策特別委員長
自由民主党医療基本問題調査委員長
自由民主党群馬県支部連合会会長
自由民主党衆議院群馬県第5区支部長
自由民主党新聞販売懇話会会長
自由民主党訪ソ団長(1990年)