江沢民中国国家主席(当時)の来日時、江主席の日本に対する謝罪要求をはねつけた。一説では、謝罪要求の受け入れを促す外務官僚を、机を叩いて怒鳴りつけたと言われる。
橋本政権から引き継いだ課題のひとつである中央省庁再編を積極的に推進した。中央省庁再編に伴い新設された総務省、財務省、文部科学省、厚生労働省、経済産業省、国土交通省の名称を決定したのは小渕である[2]。
学生時代から沖縄問題に関心を持ち、後の九州・沖縄サミット開催実現につながった。同サミットの会場となった沖縄県名護市の万国津梁館近くには、小渕の像が建立されている(群馬県中之条町の吾妻郡総合図書館の駐車場にも、小渕恵三の銅像が建っている。ちなみに、同町内には、佐藤栄作の揮毫による実父の小渕光平の顕彰碑も建っている)。
郵政省が所管するアマチュア無線に造詣が深く、あまり知られていないが熱心なアマチュア無線家でもあり、議員で構成する「国会アマチュア無線クラブ」の会長も務めていた。1986年8月13日の日本初アマチュア衛星JAS-1の打ち上げに大きく貢献。また、アマチュア衛星JAS-1b・アマチュア衛星JAS-2の打ち上げにも貢献した。
あまり知られていないが、歴代で初めて修士号をもった内閣総理大臣であった。 また群馬3区時代の福田中曽根の陰に隠れた印象などから小柄に見られがちだが身長は171cmあり、同年代の男性の中では比較的高身長だった。
ビジュアル面での印象を良くするために伸びた耳毛を切るべきだと助言する者が無数にいたにもかかわらず一切耳を貸さず、「人柄の小渕」らしからぬ頑固さを見せた。首相就任直後ついに伸びた耳毛を切ったため、周囲を驚かせた。
趣味は牛の置物の収集・映画鑑賞・音楽鑑賞(クラシック)・絵画鑑賞、演劇鑑賞など幅広い。また、アマチュア無線や切手収集にも造詣が深かったが、これらは小渕が郵政族であったことと密接な関係があると思われる。これらに加え、前述したように読書を好み、太宰に傾倒した。これに付随して、太宰の本を求めて各地の古本屋を巡るなど、古本収集も熱心に行い、太宰の初版本などのコレクションを持っていた。映画男はつらいよの大ファンであり寅さんファンクラブ会員のNo.1である。
好物は焼肉と温泉まんじゅう。また、馬刺しやホルモン焼きも好きだった。特に焼肉では牛が好きで、都内の人気焼肉店『スタミナ苑』に総理在任中も頻繁に足を運んでいた。また、夫人の手料理の中では、炊き込みご飯とコロッケを特に好んだ。小渕の自家用車の運転手によれば、甘いものが好きで、アンパンや団子をよく買って食べていたという。小渕はそうしたときは必ず運転手にも団子を買ってやり、パンは半分に割って、運転手にあげていたという。この運転手は小渕の死後、毎日新聞のインタビューに答え、「やさしくて、あれ以上の先生はいません」と涙ながらに語った。
首相時代、アメリカを訪問し、大リーグのシカゴ・カブス対サンディエゴ・パドレス戦に登場。サミー・ソーサをキャッチャーにして始球式を行ったことがある。これに備え小渕はコーチ役として西武ライオンズの高卒新人投手松坂大輔の招集を図ったが失敗し、結局元日本ハムファイターズ投手で当時連立を組む小沢自由党の新人代議士三沢淳の指導を仰いだ。
首相在任中、幾度か大相撲千秋楽の総理大臣杯授与に自ら駆けつけた。観客の小渕への喝采は凄まじいものがあり、「ゲストにこれだけの歓声が集まるのはヒョーショージョーの人(デビッド・ジョーンズ)以来ではないか」との声もあった。
河口湖に別荘を建築した竹下に誘われ、小渕も竹下の横に別荘を建築。しかし、途中で建設会社が倒産し、別荘としては機能しなかった 渡部恒三と親しく、福島県西郷村の渡部所有の土地の隣に6000平方メートルの土地を所有していた。
2000年1月5日、日本テレビ『ズームイン!!朝!』に突如電話で生出演しキャスターや視聴者を驚かせた。これは番組内でブッチホンを取り上げて貰ったことに対するお礼を兼ねた電話だった。また4日後のテレビ朝日『サンデープロジェクト』にも突如電話で生出演した。ただし後者の出演に関しては後に記者クラブ側からクレームが来た。
愛称は「恵ちゃん」、または「おぶっちゃん」「ぶっちゃん」。学習院時代のあだ名は「群馬」。早稲田大学雄弁会時代は「文教委員長」と呼ばれていた。
佐野眞一は小渕の庶民的出自よりハイパー庶民と命名。
コメディアンで映画監督であるビートたけしは、小渕内閣発足からしばらくして小渕を「海の家のラーメン屋」(まずいと思って食べたら意外と美味かった、の意)と評し、小渕本人も好んで使った。