ツシマヤマネコとは、対馬島にのみ生息するベンガルヤマネコの亜種と考えられている野生のネコである。近年は交通事故等の原因により頭数が激減していたため、その保護活動が盛んである。1949年には非狩猟鳥獣指定、1966年に長崎県指定天然記念物、1971年に国指定天然記念物に指定されている。
詳細はツシマヤマネコを参照
日本では対馬のみに生育・生息する主な大陸系動植物
哺乳類
コジネズミ
ツシマクロアカコウモリ
爬虫類
アムールカナヘビ
アカマダラ
両生類
チョウセンヤマアカガエル
虫類
アキマドボタル
キンオニクワガタ
チョウセンヒラタクワガタ
ツシママダラテントウ
ハラアカコブカミキリ
ツシマメクラチビゴミムシ
植物
チョウセンキハギ
チョウセンヤマツツジ
ムジナノカミソリ
対馬島の沿岸には、対馬海流によって外国から運ばれたゴミが漂着し、大きな問題となっている。中華人民共和国や中華民国、ロシアからのものもあるが、その大半は韓国のゴミである。漂着ゴミは、プラスチック製の各種容器・生活廃棄物・漁具類が多いが、テレビや冷蔵庫等の大型ゴミもある。
また、2000年以降は毎年、韓国の養殖業で使用されたと見られる薬品用ポリタンクが大量に漂着している。これらのポリタンクには、塩酸や過酸化水素等がハングルで表記されていた。また、実際に薬品が残っていた例もあった。
このような状況を改善する為、韓国から毎年、ゴミ拾いをする為のボランティアが訪問している(後述)。
対馬市#歴史、 厳原町#歴史、 美津島町#歴史、 豊玉町#歴史、 峰町#歴史、 上県町#歴史、および 上対馬町#歴史も参照
※古文書では對馬と書かれている。
建国神話である『古事記』では、最初に生まれた島々の1つとして「津島」と記されている。また『日本書紀』には「対馬洲」「対馬島」と記されている(国生み)。
対馬島は古くから大陸との交流があり、歴史的に朝鮮半島に近い地理的関係から両国の中継地として日本と大陸との接点となった。
魏志倭人伝(正式には三国志・魏書・東夷伝・倭人条)には倭の一国として倭国の北岸の「狗邪韓国」の次に「対馬国」として登場する。対馬国は邪馬台国に属しており、他の倭の国にも見られる卑狗(ヒコ)という大官と、卑奴母離(ヒナモリ)という副官が置かれ統治していた。そこには千余戸が有り、人々は海産物を採集し、南北に交易を行って生活したと記されている。
古墳時代初期に築かれた出居塚古墳は前方後円墳で、有茎柳葉式銅鏃、管玉、鉄剣部分等が出土。前方後円墳は大和地方で発達した古墳の形態で、出土した有茎柳葉式銅鏃は、古式畿内型古墳の典型的出土品であり、この時代にすでに対馬は大和朝廷の強い影響下にあったことを示している。島の首長について『先代旧事本紀』の「国造本紀」に津島県直とある。古墳時代は大和朝廷が度々朝鮮半島に出兵し交戦を繰り返した時代といえる。こうした状況は『日本書紀』、『広開土王碑文』、『宋書』倭国伝、『三国史記』の記載により知る事ができる。中でも特に対馬の地名が具体的に登場するのは、日本側の記録としては『日本書紀』に、対馬北端の和珥津(わにのつ 現在の鰐浦)から出航した神功皇后率いる大軍が新羅を攻め、服属させた上、屯倉を設置したと書かれてある。また、朝鮮半島側の記録としては、『三国史記』に、第十八代・新羅王・実聖尼師今・治世七年(408年)、倭人が新羅を襲撃するために、対馬に軍営を設置し軍備を整えていた事が書かれている。このように対馬は大和朝廷による朝鮮半島出兵の中継地として重要な役割を担っていた。
663年の白村江の戦い以後、倭国は、唐・新羅の侵攻に備え、664年、対馬に防人(さきもり)が置かれ、烽火(とぶひ)が8ヶ所設置される。