富山県
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県民性

保守的な気風が強い。貯蓄率は高く、「越中の一つ残し」と言われるほどである。また家を基準とした家長制度を非常に重んじ、男性は庭付きの一戸建てをもってようやく一人前として扱われる。そのため持ち家率や延べ床面積は全国一位。家建設費や教育費を捻出するために共働き率が高く、大家族傾向があるため世帯収入が一位。生活保護率は全国最低。


地理

日本中部地方(行政上の区分)、北陸地方

隣接都道府県:新潟県 - 長野県 - 岐阜県 - 石川県

県の中部には、概ね複数の河川が形作った沖積平野富山平野があり、山麓部には複数の川の扇状地が重なり合ってできた「複合扇状地」が見られる。

日本海に面するので、気候の多い日本海側気候を呈する。

平野富山平野砺波平野射水平野

河川黒部川片貝川早月川常願寺川神通川庄川小矢部川

富山湾

山地飛騨山脈(北アルプス)、両白山地飛騨高地

立山剱岳

丘陵呉羽丘陵、宝達丘陵

虻が島唐島男岩


自然公園岩と雪の殿堂、剱岳(中部山岳国立公園)
国立公園


中部山岳国立公園

白山国立公園

国定公園


能登半島国定公園

県立自然公園


朝日県立自然公園

有峰県立自然公園

五箇山県立自然公園

白木水無県立自然公園

医王山県立自然公園


歴史


古代

縄文時代 氷見市の大境洞窟で新石器時代の遺物発見

大和時代 五畿七道のうち北陸道の一つとして存在する

北陸地方は、越国(高志国)であったが、645年 大化の改新の後、越前(こしのみちのくち)、越中(こしのみちのなか)、越後(こしのみちのしり)に三分割され、越中国となる。

701年 越中国の国司である佐伯有若の子、佐伯有頼によって立山が開山し、雄山神社が開かれる。


律令時代

725年 僧侶行基によって国内最大の石仏である不動明王像が彫られ、真言密宗大岩山日石寺を開く

741年 能登国を越中国に併合する

746年 越中国の国司として、万葉歌人である大伴家持が赴任する。後に大伴家持が中心となり編纂した万葉集には富山県の風景や伝説を詠んだ歌が全4536首のうち337首収められている。

757年 越中国より能登国を分離する

810年 越中国に滞在した渤海国使首領である高多仏により、習語生等に対する渤海語の修習が行われる

863年 越中、越後で大地震が発生する(三代実録)


鎌倉時代?室町時代

1183年 源義仲が石黒太郎光弘らを従えて越中国砺波山の倶利伽羅峠平維盛を破る(倶利伽羅峠の戦い

1299年 慈雲妙意によって臨済宗国泰寺派の本山国泰寺が開かれる

1355年 桃井直常、越中勢を率い入京し、足利尊氏足利義詮を放逐する。

1390年 本願寺5世である綽如によって瑞泉寺が建立され、門徒による土一揆が増える。


戦国時代

1467年 越中国守護である畠山持国の養子と実子の相続争いから応仁の乱に発展する。

畠山氏家臣であった神保長誠畠山政長を担ぎ、京都上洛を切掛として応仁の乱に至る。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki