富山県
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律令時代

725年 僧侶行基によって国内最大の石仏である不動明王像が彫られ、真言密宗大岩山日石寺を開く

741年 能登国を越中国に併合する

746年 越中国の国司として、万葉歌人である大伴家持が赴任する。後に大伴家持が中心となり編纂した万葉集には富山県の風景や伝説を詠んだ歌が全4536首のうち337首収められている。

757年 越中国より能登国を分離する

810年 越中国に滞在した渤海国使首領である高多仏により、習語生等に対する渤海語の修習が行われる

863年 越中、越後で大地震が発生する(三代実録)


鎌倉時代?室町時代

1183年 源義仲が石黒太郎光弘らを従えて越中国砺波山の倶利伽羅峠平維盛を破る(倶利伽羅峠の戦い

1299年 慈雲妙意によって臨済宗国泰寺派の本山国泰寺が開かれる

1355年 桃井直常、越中勢を率い入京し、足利尊氏足利義詮を放逐する。

1390年 本願寺5世である綽如によって瑞泉寺が建立され、門徒による土一揆が増える。


戦国時代

1467年 越中国守護である畠山持国の養子と実子の相続争いから応仁の乱に発展する。

畠山氏家臣であった神保長誠畠山政長を担ぎ、京都上洛を切掛として応仁の乱に至る。

畠山氏の衰退によって神保氏椎名氏らによって越中国支配が目まぐるしく変遷する(越中大乱の時代)。


1471年 本願寺8代目法主である蓮如によって勝興寺(土山御坊)が建立され、一向一揆の動きが強まる。

1493年 室町幕府10代将軍足利義材が下向し、放生津城主神保長誠の支援を受け5年間滞在する(越中公方)。

1506年 栴檀野の戦い(般若野の戦い)で一向一揆が越後勢を撃破。長尾能景が討死。

1520年 長尾為景、越後から侵攻し、越中守護代神保慶宗が戦死する。

1543年 神保長職富山城を築城して椎名氏と抗争を開始(越中大乱)

1578年 月岡野の戦いで織田軍が上杉軍を撃破

1581年 上杉討伐のため織田信長の配下である佐々成政が一向一揆を平定し、越中を領する。

1582年 魚津城の戦い

1585年 豊臣秀吉が佐々成政を攻めて降伏させ、越中国婦負郡・射水郡・砺波郡を前田利長に与える。

1600年 関ケ原合戦へ尽力した功績により、徳川家康土方雄久へ新川郡布市以南1万石を与える(布市藩)。


江戸時代

1609年 前田利長高岡城を築く

1622年 薬種商「茶の木屋」(中田家)が創業

1633年 神通川西岸、婦負郡一帯の開拓を目的とした「牛ケ首用水」が竣工する

1634年 前田利常が、将軍徳川家光より加賀、能登、越中の三国119万石を安堵される(うち越中国分は53万石)

1639年 前田家が、越中国のうち神通川流域を加賀藩から富山藩として分置し、支藩とする

1718年 将軍徳川吉宗に、鮎の鮨と鱒の鮨(鱒寿司)を献上する

1816年 富山藩が売薬業統轄の役所として「反魂丹役所」を設置する

1858年 安政飛越地震が立山地域で発生する


明治時代(置県以前)

1871年8月29日 廃藩置県によって富山藩の領域(おおむね神通川流域)が富山県となる。

1871年12月31日 旧加賀藩領の礪波郡新川郡を併せ、富山県を新川県に改称。

1872年9月27日 (旧暦) 七尾県射水郡を編入。旧越中国が新川県として一つの県となる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki