宝塚市
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主な山

岩原山(573m)・大峰山(552m)・譲葉山(514m)・社家郷山(489m)・岩倉山(488m)・中山(478m)・樫ヶ峰(457m)


隣接する自治体

神戸市北区伊丹市西宮市川西市三田市川辺郡猪名川町市域内飛地:川西市満願寺


歴史


地名の由来

宝塚の「怐vは「塚」と異なり、「盛り土をした墓(古墳)」を意味する。 宝塚は文字通り古墳の名称であるが、宝塚には古墳が多くあり、宝塚と呼ばれていた古墳に関しては諸説あって場所が特定されていない。
川面村川面に宝塚と呼ばれていた古墳があり、近隣の新田(現:御殿山)も宝塚と呼ばれた[1]1672年検地記録に、川面村の小字として宝塚東・宝塚南・宝塚北が記されている。

宝塚山(ほうちょうざん)宝泉寺[2](現:宮の町)の地に、神功皇后の母である高額比売命(たかぬかひめのみこと)を祀った古墳があり、この高額塚(たかぬかつか)が宝塚(たからづか)へ転訛した。

米谷村(現:米谷)に塚があり、この塚の許で物を拾うと必ず幸せになったため、宝塚と呼ばれていた[3]

旧良元村伊孑志に宝塚と呼ばれていた古墳があった(現:宝梅)。

このように古くから在る宝塚の名称は、明治になって温泉名や駅名となった後、1951年昭和26年)に初めて市町村名として採用される。


沿革

古代

4世紀頃から7世紀にかけて、多くの古墳が造られる。

7世紀初期より、中山寺売布神社などの寺社が創建される。

10世紀後半、摂関家の私(まき)として川面牧が成立する。

中世

12世紀、川面牧が荘園化し川面荘となり、米谷庄など新たな荘園も成立する。

1223年貞応2年)「小林の湯」(後の宝塚温泉)の記録がなされる。

15世紀末、小浜庄が成立、毫摂寺創建により小浜が寺内町として発達する。

近世

武庫川右岸は摂津国武庫郡、左岸は同川辺郡に属す。

16世紀後半、山本村で接ぎ木手法が発見され、豊臣秀吉の庇護の下、植木産業の礎が築かれる。

17世紀、有馬街道宿場町として小浜宿が設けられる。

小浜宿の設立とともに酒造が発達。灘五郷に先立つ大酒造業地となるが、18世紀から次第に灘五郷へ譲渡され消滅。

明治以降

1887年(明治20年)宝塚温泉が開業。

1889年(明治22年)町村制施行により、小浜村、長尾村、西谷村、良元村が成立する。

1897年(明治30年)武庫川が氾濫する。 阪鶴鉄道(現在の福知山線大阪?宝塚間)が開通。

1902年(明治35年)宝来橋完成。 

1910年(明治43年)箕面有馬電気軌道(現在の阪急宝塚本線)が開通。(阪神間モダニズム

1914年(大正3年)4月1日 宝塚少女歌劇(後の宝塚歌劇団)第1回公演。

第二次世界大戦

1951年昭和26年)3月15日 小浜村が町制を施行、宝塚町となる。

1954年(昭和29年)4月1日 宝塚町と良元村が合併、宝塚市となる。

1955年(昭和30年)3月10日 長尾村を併合。

1955年(昭和30年)3月14日 西谷村を併合。

1955年(昭和30年)4月1日 旧長尾村のうち、荻野・荒牧・鴻池・大野新田を伊丹市へ分離。

1995年平成7年)1月17日 阪神・淡路大震災によって、100人を超える犠牲者を出す。

2003年(平成15年)4月1日 特例市に移行。

2004年(平成16年)4月1日 市制50周年。

2006年(平成18年)2月7日 当時の市長が収賄で逮捕され、辞職した。市長の辞職にともない市長選挙が行われた(同年4月2日告示、4月9日投票)。


行政宝塚市役所

市長:阪上善秀(任期満了日 2010年4月8日)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki