近隣市町は伊丹市、川西市、猪名川町、西宮市、三田市、神戸市北区。西は六甲山系、北は長尾山系に囲まれており、市の中心部に武庫川が流れる。
大阪、神戸のベッドタウンで、仁川、逆瀬川、雲雀丘などの閑静な高級住宅街がある。小林一三が手がけた阪急電鉄経営の宝塚歌劇団が有名。同社経営の宝塚ファミリーランドが2003年4月7日(鉄腕アトムの誕生日)に閉鎖され、宝塚ガーデンフィールズに生まれ変わった。
関西の奥座敷として温泉や1913年(大正2年)から続く宝塚観光花火大会や住宅地としても有名。
一時、伊丹市・川西市・猪名川町と合併構想が持ち上がったが、現在は凍結している。
岩原山(573m)・大峰山(552m)・譲葉山(514m)・社家郷山(489m)・岩倉山(488m)・中山(478m)・樫ヶ峰(457m)
神戸市北区、伊丹市、西宮市、川西市、三田市、川辺郡猪名川町市域内飛地:川西市満願寺町
宝塚の「怐vは「塚」と異なり、「盛り土をした墓(古墳)」を意味する。 宝塚は文字通り古墳の名称であるが、宝塚には古墳が多くあり、宝塚と呼ばれていた古墳に関しては諸説あって場所が特定されていない。
旧川面村川面に宝塚と呼ばれていた古墳があり、近隣の新田(現:御殿山)も宝塚と呼ばれた[1]。1672年の検地記録に、川面村の小字として宝塚東・宝塚南・宝塚北が記されている。
宝塚山(ほうちょうざん)宝泉寺[2](現:宮の町)の地に、神功皇后の母である高額比売命(たかぬかひめのみこと)を祀った古墳があり、この高額塚(たかぬかつか)が宝塚(たからづか)へ転訛した。
旧米谷村(現:米谷)に塚があり、この塚の許で物を拾うと必ず幸せになったため、宝塚と呼ばれていた[3]。
旧良元村伊孑志に宝塚と呼ばれていた古墳があった(現:宝梅)。
このように古くから在る宝塚の名称は、明治になって温泉名や駅名となった後、1951年(昭和26年)に初めて市町村名として採用される。
古代
4世紀頃から7世紀にかけて、多くの古墳が造られる。
7世紀初期より、中山寺、売布神社などの寺社が創建される。
10世紀後半、摂関家の私牧(まき)として川面牧が成立する。
中世
12世紀、川面牧が荘園化し川面荘となり、米谷庄など新たな荘園も成立する。
1223年(貞応2年)「小林の湯」(後の宝塚温泉)の記録がなされる。
15世紀末、小浜庄が成立、毫摂寺創建により小浜が寺内町として発達する。
近世
武庫川右岸は摂津国武庫郡、左岸は同川辺郡に属す。
16世紀後半、山本村で接ぎ木手法が発見され、豊臣秀吉の庇護の下、植木産業の礎が築かれる。
17世紀、有馬街道の宿場町として小浜宿が設けられる。
小浜宿の設立とともに酒造が発達。灘五郷に先立つ大酒造業地となるが、18世紀から次第に灘五郷へ譲渡され消滅。
明治以降