親族に政治家が多く、父方の祖父の安倍寛(元衆議院議員)、母方の祖父の岸信介(第56・57代内閣総理大臣)、大叔父の佐藤栄作(第61 - 63代内閣総理大臣)、父の安倍晋太郎(元外務大臣)、弟の岸信夫(参議院議員)などがいる。妻は森永製菓社長令嬢の安倍昭恵。
大学卒業後、神戸製鋼所社員、外務大臣秘書官を経て衆議院議員となる。内閣官房副長官、自由民主党幹事長、同幹事長代理、内閣官房長官等を歴任。2006年に自由民主党総裁、内閣総理大臣に就任。2007年9月26日に内閣総理大臣を退任。
1954年9月21日、当時毎日新聞の記者だった安倍晋太郎とその妻、洋子の次男として東京で生まれる(本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)。 父方の祖父は衆議院議員の安倍寛(この時既に故人)、母方の祖父は後の首相・岸信介で、大叔父にはやはり後の首相・佐藤栄作がいる、政治家一族であった。「幼い頃から私には身近に政治がありました」と安倍は振り返っている[1]。
、成蹊学園(小学校・中学校・高等学校・大学法学部政治学科)を卒業。
小学4年生から5年生にかけての1964年から2年間平沢勝栄(後の衆議院議員、日本人拉致問題で助言したと言われる)が家庭教師についていた[3][1]。
父・晋太郎、祖父・寛・岸信介、大叔父の佐藤栄作、家庭教師の平沢勝栄と親類・周囲には東京大学出身者が多かったが、本人は成蹊大学に進み行政学を学ぶ。
成蹊大ではアーチェリー部に所属し、準レギュラーだった[5]。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという[4]。
1977年春に渡米し、カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、その後イタリア系アメリカ人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通った[6]。秋に南カリフォルニア大学への入学許可が出され[7]1978年に入学。政治学を専攻し春・夏・秋学期を履修した後、1979年に中退した[8]。
1979年4月に帰国し、神戸製鋼に入社した。ニューヨーク事務所、加古川製鉄所、東京本社で勤務した[1]。加古川製鉄所での経験は、「私の社会人としての原点[9]」、あるいは「私の原点[10]」だったと回顧している。
神戸製鋼での3年間勤務の後、1982年から当時外務大臣に就任していた父・晋太郎の下で秘書官等を務め、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての政治家修行を行う。1987年に松崎昭雄・森永製菓社長の娘で電通社員の昭恵と結婚する。その際の媒酌人を務めたのが、福田赳夫元総理だった。1991年に総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。
1993年に亡父の地盤を引き継ぎ、第40回衆議院議員総選挙に山口1区(当時)より出馬し、初当選。父が派閥会長を務めていた清和会(三塚派、後の森派→町村派)に属す。2006年1月、アメリカ合衆国国務副長官ロバート・ゼーリックと握手を交わす安倍晋三