安倍晋三
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出生

1954年9月21日、当時毎日新聞記者だった安倍晋太郎とその、洋子の次男として東京で生まれる(本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)。 父方の祖父は衆議院議員の安倍寛(この時既に故人)、母方の祖父は後の首相・岸信介で、大叔父にはやはり後の首相佐藤栄作がいる、政治家一族であった。「幼い頃から私には身近に政治がありました」と安倍は振り返っている[1]

幼い頃は、野球選手刑事になることに憧れていた[2]


学業

岸信介が入学を推奨したという[3]成蹊学園小学校中学校・高等学校大学法学部政治学科)を卒業。安倍は小中高と良い教師に恵まれていたと振り返る[4]

小学4年生から5年生にかけての1964年から2年間平沢勝栄(後の衆議院議員、日本人拉致問題で助言したと言われる)が家庭教師についていた[5][1]。平沢はテレビ朝日系の番組『ビートたけしのTVタックル』で、「安倍晋三さんは、私が教えてから頭悪くなったと言うんですけどね、違うんですよ。安倍晋三さんがしっかりしてるのは私が教えたからで、私が教えてなかったら今頃網走の刑務所に入ってたかも知れないよ。」と語っている[6]。低学年の時、父晋太郎が選挙(1963年)に落選したとき、「仕事がなくなっちゃったんだ。でも、知り合いの会社の顧問になれるから大丈夫なんだ」 と語っていたという[7]。晋太郎の落選当時、両親と離れて暮らしており、平沢を遊び相手にしたりしていた[1]。この当時、友人によればあまり目立たなかったという[7]。また平沢によれば、「はやっていた『おそ松くん』の『シェー』のポーズを良くまねする普通の子ども」だったという[1]

高校クラブ地理研究部に所属[8]。同級生によれば存在感の薄さが逆に印象に残っていたという[3]。同期の1人に池田大作の次男がいた[9]

父・晋太郎、祖父・寛・岸信介、大叔父の佐藤栄作、家庭教師の平沢勝栄と親類・周囲には東京大学出身者が多かったが、本人は成蹊大学に進み行政学を学ぶ。田中眞紀子は、平沢が「頭が悪くて勉強が嫌いで口が軽くて。コネでもなんかすれば慶大くらい入れるだろうと思ったら、それもダメだった」と話していたとしている[10]

成蹊大ではアーチェリー部に所属し、準レギュラーだった[11]。また、キャンパスにはアルファ・ロメオに乗って通学した[12]。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという[8]

1977年春に渡米し、カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、その後イタリア系アメリカ人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通った[13]。秋に南カリフォルニア大学への入学許可が出され[14]1978年に入学。政治学を専攻し春・夏・秋学期を履修した後、1979年中退した[15]


サラリーマン生活

1979年4月に帰国し、神戸製鋼に入社した。ニューヨーク事務所、加古川製鉄所、東京本社で勤務した[1]。加古川製鉄所での経験は、「私の社会人としての原点[16]」、あるいは「私の原点[17]」だったという。


政界へ

神戸製鋼での3年間勤務の後、1982年から当時外務大臣に就任していた父・晋太郎の下で秘書官等を務め、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての政治家修行を行う。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki