麻垣康三も参照
小泉政権末期の早い段階から自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補の一人と言われ、2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣では内閣官房長官を務める。
2006年9月1日に自民党総裁戦への出馬を表明。憲法改正や教育改革、財政健全化に取り組む方針を示す。また、総裁選に当選し次第、所属する派閥の森派を離脱する考えを示した。
小泉の総裁任期が満了となり、2006年9月20日、自由民主党総裁選挙で麻生太郎、谷垣禎一を大差で破って自由民主党総裁に選出、9月26日の臨時国会に於いて内閣総理大臣に指名される。戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった。
安倍内閣、 安倍改造内閣、 2006年の政治、および 2007年の政治も参照
就任表明では「美しい国」というテーマのもとに「戦後レジームからの脱却」「教育バウチャー制度の導入」「ホワイトカラーエグゼンプション」などといったカタカナ語を連発し、議員からは「わかりにくい」と揶揄された。 安倍は小泉前首相の靖国参拝問題のために途絶えていた中国、韓国への訪問を表明。10月8日に中国・北京で胡錦濤国家主席と会談。翌9日に盧武鉉大統領と会談すべく韓国・ソウルに入り、小泉政権下で冷え切った日中・日韓関係を改善した。 その日、北朝鮮が核実験を実施して世界を驚かせた。この北朝鮮の核実験に対して、安倍首相は「日本の安全保障に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、国連の制裁決議とは別に、より厳しい経済制裁措置を実施した。9月から11月にかけ郵政造反組復党問題が政治問題化する。12月に懸案だった教育基本法改正と防衛庁の省昇格を実現した。同月、本間税制会長が公務員宿舎の愛人問題(妻とは別居および離婚調停中だった)で、佐田行革相が架空事務所費計上問題で辞任。
2007年に始まった第166回通常国会では数多くの重要法案を次々に成立させた。ハイリゲンダム・サミットで各国首脳らと2007年4月27日、記者会見時にアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュと握手を交わす安倍晋三
5月初旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続いて日米関係が強固なものであることをアピールした。同月、以前から様々な疑惑のあった松岡農水大臣が自殺。官邸で訃報に接した安倍は涙を流し[13]、その晩は公邸で妻の昭恵に「松岡さんにはかわいそうなことをした」[13]を語っている。また年金記録問題が大きく浮上した。
こうした中で、6月当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったということがメディアに大きく報じられた。同月6日?8日には首相就任後初のサミットであるハイリゲンダム・サミットに参加、地球温暖化への対策を諸外国に示した。また、議長総括に北朝鮮による日本人拉致問題の解決を盛り込ませた。7月3日に久間防衛相の原爆投下をめぐる発言が問題化。当初は問題なしとしていたが、批判の高まりにより、久間に厳重注意を行なった(翌日になり、久間は辞任)。同月5日第166回国会閉会。
第21回参議院議員通常選挙への与野党の戦いが始まって早々、自殺した松岡の後任である赤城農水大臣もいくつかの事務所費問題が発覚。安倍はこういった閣僚の諸問題への対応が遅いと非難された。選挙中に発生した新潟県中越沖地震では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。2007年の参議院選挙では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」[14]と楽観視していたが、結果は連立を組む公明党との議席を合わせても過半数を大きく下回る歴史的大敗を喫した。