学校法人桐蔭学園
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概要

中高一貫校として、桐蔭学園中学校/高等学校男子部、桐蔭学園中学校/高等学校女子部と、男子校である桐蔭学園中等教育学校が存在する。なお、女子部には女子中等教育コース(※中等教育学校とは別である)と従来型の女子中学/高校コースがある。そして、高等学校男子部には普通科理数科の二つの学科が、同女子部には普通科のみの中で普通コースと理数コースの二つのコースが設置されている。入学偏差値は、男子部中学校、女子部中学コースよりも、中等教育学校、中等教育コースの方が高い。

中学校・高等学校には男子部と女子部があり、校舎などエリアが分かれている男女別学である。しかし、高校3年ではコース別編成を採るため、授業のみ男女共学となる。

高等学校男子部には、一学年に理数科6クラス・普通科12クラスが設置されており、生徒数では国内有数となっている(ちなみに生徒数最多の高校は作新学院高等学校)。

原則として能力別の授業編成を行っており、年に4回(前期中間、前期期末、後期中間、後期期末)、それぞれの定期考査の成績によりレッスンルーム(能力別に編成された授業集団。通称、レッスン/LR)の入れ替えが行われる。(ただし、次学年への進級に伴うレッスン移動では校内実力テストの成績も加味することがある。)HRは三年間同じである。

夏期研修期間(実質夏休み)の直後に夏期研修課題確認テストが行われる。このテストは9月に行われる前期期末考査の一部となっており、前期期末考査一科目100点満点中15点が割り当てられる。そのため、定期考査や実力テストなどの中で唯一前期期末考査だけは一科目85点満点となっている。

服装や頭髪などの指導が厳しく、定期的に検査などもしているが、近年ではなかなか改善が見られず、公共の場などでのマナーの悪さなどを憂慮する声もでてきている。[要出典]

開校当初は生徒集めに苦労し、現在の学園幹部が周辺地域への戸別訪問を繰り返したこともあったという。その後野球部が甲子園で優勝したことを契機に学校宣伝を積極的に行い、生徒を集めた。

いわゆる自宅外生の受け入れも行なっており、鉄町の学園敷地内と学園の近隣数ヶ所に生徒寮を有している。

90年代前半には東京大学の合格者は100名を超え、部活動でも好成績を残すなど文武両道校というイメージを広めることに成功したが、東大合格者数は中等教育学校も含めた総数で2007年33名、2008年26名と漸減傾向にあり、他の難関大学に対しても同様のため、合格実績の立て直しが急務となっている。

過去に東急田園都市線の江田駅において、本校小学部の児童の死亡事故が起こり江田駅のホームに安全対策として柵が設置。さらに教諭陣によるホームでの乗り降りの指導及び監視が行われるようになった。

桐蔭学園では上記の中学校・高等学校・中等教育学校の他に、幼稚部(2年保育)・小学部桐蔭横浜大学法学部、及び法科大学院、医用工学部などを設置)を併設しているが、これらでは開設以来男女共学制を敷いている。

学園創立者・初代理事長は、茗渓会会長、茗渓学園理事長、科学技術学園理事長なども務めた柴田周吉。柴田周吉理事長のもとで桐蔭学園の理事会の監事をしていた長男・柴田矩雄が1977年3月に死去し、後任監事として次男の柴田紘次が就任したが、1982年10月2日に柴田周吉理事長が亡くなった後、鵜川昇が学園創立以来の理事を一掃し、理事長と校長の両ポストに就いて学園長と称するようになり権力の集中を図った。また鵜川は後に、柴田と同様、茗渓会会長、茗渓学園理事長にも就任している。鵜川には、「一流校合格への父親学」など、いくつかの著書がある。2007年11月27日、多臓器不全のため横浜総合病院にて逝去。

12月8日の理事会で第3代の理事長には学園創立以来の教諭で、1971年に硬式野球部が全国優勝したときの責任教諭であった榊原滋が就任、中学・高校・中等教育学校の校長も兼ねた。


部活動

硬式野球部:高等学校に1966年設置。1971年(昭和46年)、第53回全国高等学校野球選手権大会に初出場で初優勝を成す。この時を含めて甲子園出場は春5回、夏6回を数える。プロ野球選手が多数輩出。引退した選手では、長内孝広島渋井敬一ヤクルト水上善雄ロッテ)。彼らは高校卒業後の入団である。その後、大学や社会人を経ての入団として小桧山雅仁横浜高木大成西武副島孔太(ヤクルト→オリックス)等。現役では、高橋由伸巨人)、平野恵一阪神)たちがいる。高木、副島、高橋は同時期に在籍。硬式野球部では全寮制を敷いており、部員は全員鉄町の敷地内の寮で生活を送っている。

軟式野球部:中学校・高等学校・中等教育学校に設置。高等学校軟式野球部では、全国高等学校軟式野球選手権大会に過去5回の出場実績。中学校野球部では、全日本少年軟式野球大会で平成元年、12年の2回優勝。平成18年準優勝。

サッカー部:全国大会出場、最高は全国ベスト2、多数のプロ選手が輩出。W杯、五輪にも戸田和幸森岡隆三らを送り込んだ。中学は2008年全国中学校サッカー大会で優勝を果たした。

ラグビー部:全国大会出場、最高は全国大会準優勝。中学の最高は東日本優勝。

陸上部:全国大会出場、全国高校総体2006年大阪・4×100Mリレー優勝、2007年佐賀・4×100Mリレー優勝(2連覇)など。

剣道部:全国大会出場。最高は全国優勝。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki