天皇
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明治以降明治天皇

明治31年(1898年)には、第一次大隈重信内閣の文部大臣尾崎行雄が、ある教育会の席上で藩閥勢力の拝金主義を攻撃した演説で「日本で共和制が実施されれば、三井三菱は大統領となるだろう」と述べたため問題となり、君主制の下にあって共和制を想定することは不敬にあたるとして辞任に追い込まれた(共和演説事件)。

その背景には反大隈勢力の桂太郎派の画策があったと言われるが、後任の文相には犬養毅が任命された。明治44年(1911年)には大逆事件が生じ、時の政権から社会主義者弾圧の口実に使用され、明治天皇を暗殺しようとしたとして幸徳秋水ら12人が死刑に処された。この事件は当時の多くの文化人にも衝撃的な影響を与えた。徳富蘆花は、「謀反論」を書き、謀反を恐れてはならないとし、石川啄木は「時代閉塞の現状」への宣戦布告を行ったが、永井荷風はこれを機に社会的関心から意識的に遠ざかるようになった。

その後は、政府の方針に対する世論の批判をかわす目的で天皇の存在は利用され、天皇を批判する言論は不敬罪として厳重に罰せられたこともあって、天皇批判は影を潜め、「冬の時代」とも称されるようなった。

その後、2度にわたる憲政擁護運動を経て、大正デモクラシーと言われるように言論界も活況を呈するようになる。大正デモクラシーの時期には、君主制自由主義的に解釈する吉野作造民本主義なども現れた。

しかし、大正14年(1925年)には普通選挙法と同時に治安維持法が公布され、国体の変革を包含する言論や運動が禁止された。昭和10年(1935年)、美濃部達吉はそれまで学会で主流だった天皇機関説を主張したことで貴族院で排撃され、著書は発禁処分となり不敬罪で告訴され、貴族院議員の職を辞した。政府や軍の活動に対する世論の批判を抑える目的として天皇の存在は大きく利用されることとなった。

世界恐慌の後、五・一五事件二・二六事件を踏まえ、軍部が擡頭し天皇の存在を大きく利用する。明治憲法において軍の統帥権は、政府ではなく天皇にあると定められていることを理由に、政府の方針を無視し満州事変等を引き起こした。また天皇の神聖不可侵を強調して、政府に圧力を加え軍部大臣現役武官制統帥権干犯問題、国体明徴宣言を通じて勢力を強めていく。

この頃には、津田左右吉らの日本古代史学者が、神話は歴史事実とは異なるとしただけで職を追われるようになった。その権威が頂点に達したのは太平洋戦争時であり、昭和13年(1938年)の国家総動員法が発令された頃より、軍部により現人神(あらひとがみ)と神格化され、天皇を中心とした戦時国家体制が作られた(皇国史観を参照)。

この時代には、ドイツナチス政権やイタリア戦闘者ファッショ政権といったファシズム体制が成立し、日独伊三国同盟が結ばれたことから、この時期の日本の君主制は天皇制ファシズムとも呼ばれている。


第二次世界大戦終結後昭和天皇(右)とマッカーサーの会見で(1945年9月27日)。この写真を掲載した各新聞は内務省より発禁処分を受けたが、GHQの命で解除された。

第二次世界大戦の終戦後、連合国(UN)の間では、軍国主義の一因として天皇を処罰し、君主制を廃止すべきだという意見が強かったが、日本政府がその維持を強く唱えたこともあり、ダグラス・マッカーサー元帥連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)は、日本の占領行政を円滑に進めるため、また共産主義に対する防波堤としても君主制は存続させるべきだという方向性を取った。

昭和天皇の戦争責任についても追及すべきとの意見が強くあったが、アメリカの外交的策略により、占領当局は追及しないこととした。当時、民間には、天皇をめぐる各種の意見が生じたが、戦前、皇国史観のために被害を受けた津田左右吉なども天皇自体の存在は否定しないと言明した。その外、天皇の廃位を唱える見解や昭和天皇の退位と皇太子の即位により元号を改正するのが妥当とする説も、南原繁佐々木惣一中曽根康弘らが唱えたが、一部に止まった。昭和天皇自身は退位の意向を示したが、かえって戦争責任を認めることになるとして周囲から強い反対があり、撤回した。

この後、連合国総司令官のマッカーサー元帥と昭和天皇が並んで写っている写真(右)が新聞に掲載された。今まで現人神とされ、写真も「御真影」等と呼ばれていた天皇が、しかも肩の力を抜いた姿の元帥の隣に直立不動の姿勢で、普通に新聞に写っていることは国民の衝撃を呼んだ。

さらには、1946年1月1日の詔書を発表し、このなかで“天皇は現人神ではなく人間である”といういわゆる「人間宣言」もなされた。しかしこの宣言は、戦前戦中に「修身」の教科書などで国民が意識していた“日本国民は優秀な民族であり、世界の支配者たるべき立場にある”という概念を否定する文脈にあること、詔書の冒頭において「五箇条の御誓文」を掲げていることに見られるように、かならずしも従来の天皇のありかたそのものを否定するものでは無かったとする説もあった[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki