明治維新以前は一般的に側室を認める時代のため、天皇には皇后以外の複数の配偶者がいた。天皇の配偶者は、出身の家柄に応じて名乗れる称号は決まっていた。
明治維新以降、国民の間では民法の影響で一夫一妻制が浸透したので、皇族や貴族の中においても一夫一妻制が広まった。ただ、明治天皇には側室がいたため、最初に一夫一妻制を実現した天皇は大正天皇である。それ以後の天皇、皇族は一夫一妻制に基づき、配偶者は一人である。
明治維新以前
皇后
中宮
女御
更衣
夫人※上記の名称が出来る前の配偶者の名称
大正天皇以降
皇后
天皇や皇族は氏姓および苗字を持たないとされる[1]。古代日本において、氏姓、すなわちウジ名とカバネは天皇が臣下へ賜与するものと位置づけられていた(→氏姓制度)。天皇は、氏姓を与える超越的な地位にあり、天皇に氏姓を与える上位存在がなかったため、天皇は氏姓を持たなかったのである。このことは、東アジア世界において他に類を見ない非常に独特なものである。
しかし、ウジ・カバネが制度化される以前の大王家(天皇家の前進)は、姓を有していたとする説もある。5世紀の倭の五王が、倭讃、倭済などと称したことが『宋書』倭国伝ないし文帝紀などに見え、当時の倭国王が「倭」姓を称していたことがわかる。このことから、宋との冊封関係を結ぶ上で、ヤマト王権の王が姓を称する必要があったのだと考えられている[2]。また、『隋書』倭国伝に倭国王の姓を「阿毎」(あま、あめ)とする記述があり、7世紀初頭まで大王家が姓を有していたとする説もあるが、中国風の一字姓でないことから「阿毎」は姓でないとする説もある[3]。大王家の「倭」姓は、中国の冊封体制から離脱した5世紀末ないし、氏姓制度の形成が進んだ5世紀末から6世紀前半までの間に放棄されたとする説も提出されている[4]。
吉田孝は、倭国が5世紀末に中国の冊封体制から離脱し、7世紀初頭の推古朝でも倭国王に冊封されなかったことが、大王=天皇が姓を持たず「姓」制度を超越し続けたことにつながったとしている[5]。
詳細は皇位継承を参照明治以後の歴代天皇については即位の礼を参照
皇位継承とは、皇太子などの皇位継承者が皇位(天皇の位)を継承することである。諸外国における国王・皇帝の地位の継承を意味する王位継承、あるいは帝位継承とほぼ同義語である。天皇の皇位継承は、大日本帝国憲法及び日本国憲法で明文規定されていた。日本国憲法では「皇位は、世襲のものであつて、國會(国会)の議決した皇室典範の定めるところにより、これを繼承(継承)する。(日本国憲法第2条)」とある。その皇室典範には「皇位は、皇統に屬(属)する男系の男子が、これを繼承(継承)する。( ⇒同法第一条)」とある。
詳細は象徴天皇制を参照
現在、天皇については日本国憲法第1章に記されている。日本国憲法において、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(第一条)と位置づけられる。日本国憲法には元首の規定がなく、天皇の地位について議論がなされているが、公式には日本内外で元首として扱われる。憲法の定める国事行為を除くほか、国政に関する権能を有しない。
大日本帝国憲法においては、その第1条で、「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定められており、第4条で「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リテ之ヲ行フ」と、日本国憲法とは異なり明確に「元首」と規定されている。
大日本帝国憲法を文言通りに解釈すると、天皇は大きな権力を持っていたように読める。しかし、憲法制定後以降、条文の天皇の地位の規定は近代的な立憲君主的に解釈されてきて(天皇機関説)、実際の運用もそのようにされてきた。つまり天皇機関説は国家公認の通説であった。しかし昭和に入り軍部の専横が激しくなっていく過程で軍部と結託した一部政治家や右翼がいわゆる天皇機関説事件を起こし、軍部、右翼の攻撃の前に政府はついに昭和10年、国体明徴声明を出さざるを得なくなった。ここに明治憲法下における近代的立憲君主としての天皇は終わり、終戦まで続く狂信的な神権的天皇像が作り上げられていくこととなる。
天皇の歴史は神話までに遡ることができる。現在においても天皇と神道は新嘗祭などで結ばれている。国事行為だけでなく宮中祭祀である国の安泰を祈願する四方拝等「祈り」を行う存在としての天皇も意義深い。明治から戦争直後までの天皇と神道との関係は「国家神道」、「国体」を参照。また、江戸時代までは仏教とも深く繋がっており、明治4年までは宮中の黒戸の間に仏壇があり、歴代天皇の位牌があった。法事は仏式で行われていた。維新以後は一千年続いた仏式の行事はすべて停止され、「尊牌」と称された天皇や皇族の位牌は京都の泉涌寺にまとめられ、天皇家とは縁切りということになり、仏教とは疎遠となった。
天皇は日本の歴史において重要な権威を有していたが、実際に君主として統治権を行使していた期間は、天皇が存在していた期間と比べ極端に短く、ほとんどが天皇以外の貴族や武家、官僚などによって統治権は行使されている。