優勝チームには天皇杯(第31回以降)の他にNHK杯(第48回以降)、共同通信杯、JOC杯、ドイツ杯(第85回以降)が贈られる。また翌シーズンには全日本選手権チーム(チャンピオンチーム)の証として日本サッカー協会のエンブレムをユニフォームに付ける権利を有する。エンブレムには、日本サッカー協会のシンボルマークであるヤタガラス上部に天皇杯(Emperor's Cup)の"E"を表示(また、J1との二冠の場合は"☆")する。
優勝チームは全日本選手権チームとして、翌シーズンのゼロックス・スーパーカップ、翌々シーズンのAFCチャンピオンズリーグの出場資格を得る。なお、優勝チームが同シーズンのJ1リーグも優勝している場合には、前者には天皇杯の準優勝が繰り上がり出場権が与えられる。また、翌シーズンのJ1リーグを優勝した場合には、後者にはJ1準優勝が繰り上がり出場権が与えられる(2000年度はJ1リーグ・天皇杯ともに鹿島アントラーズが制したため、2001年度スーパーカップにおいては天皇杯準優勝の清水エスパルスが、2005年度天皇杯・2006年度J1リーグは浦和レッズが制したため、2007年度AFCチャンピオンズリーグにおいては2006年度J1リーグ2位の川崎フロンターレが、それぞれ適用第一号となった)。また同様に、1980年代前半にはジャパンカップへの出場権が与えられていた。
ただし、AFCチャンピオンズリーグの場合、翌々年の開催分になるため、仮に優勝チームがJ2に降格した場合は、出場権が剥奪される。なお、2002年度の天皇杯を制した京都パープルサンガ(2003年にJ2降格)は、当時のAFCチャンピオンズリーグの日程変更上の過渡期でもあったため、出場権がなかった。また2004年度優勝の東京ヴェルディ1969は本来なら2006年J2に降格したので出場権を失う予定だったが、クラブ側の「J2に降格した場合でも出場したい」という意向を受け入れる形で同大会への出場が認められた。その後ルールが変更され、2009年度のACLへの日本代表枠としての派遣は2007年度の当大会優勝クラブではなく、2008年度の当大会で優勝したクラブが代表として出場するよう変更された。それ以後も当該年度の当大会優勝クラブが翌年のACL出場を獲得することになる予定。
決勝戦は元日午後の試合であるが、カードに関係なく元日を国立で過ごしたいという根っからのサッカーファンは多く、おおむねどのチームが決勝進出しても超満員となることが多い。ただしJリーグが開幕してから関西以西に本拠地を置くチーム同士による決勝戦はまだ行われておらず、ここ最近は関東圏に本拠地を置くチームが決勝進出を果たすことが多いことから、必ずしも満員になるかどうかは定かではない。2005年度(2006年1月1日)、2006年度(2007年1月1日)は特に、超人気クラブの浦和レッズが決勝進出したこともあり、例年にも増してチケット確保は困難を極めた。また2004年度の第84回大会(2005年1月1日決勝)から全日本女子サッカー選手権大会の決勝戦が元日午前におなじ会場で行われるようになり、「兄妹チーム」のアベック優勝なども見られるようになったが、女子チームの応援団(サポーター)にとって場所やチケットの確保での改善を求める声も上がっている。
1998年度の78回大会より、決勝戦のみならずすべてのスタジアムでの入場曲に「日本サッカーの歌」(坂本龍一作曲)が使われている。
決勝戦終了直後の表彰式においても、優勝チーム表彰の際に「日本サッカーの歌」がBGMで流される。
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2002年優勝の京都パープルサンガは翌年J2降格
2003年優勝のジュビロ磐田は優勝候補に挙げられながら2ndステージ13位と低迷
2004年優勝の東京ヴェルディ1969も翌年J2降格
と、ここ数年、天皇杯に優勝したチームが翌年極端に成績を落とすケースが相次いでおり、Jリーグファンの間では「天皇杯の呪い」「負けた方が縁起がいい」などと皮肉られている。
これは、決勝まで勝ち上がった場合シーズン終了が1月までずれ込み、新チーム編成などの準備期間が短くなること、Jリーグの過密日程化と合わさって、選手が十分な休養を取れないまま新シーズンに突入してしまうことなどが原因と考えられ、日程面の更なる改革が必要だとする声も挙がっている。
ただし、2005年優勝の浦和レッズは、翌2006年シーズンでリーグ優勝し天皇杯の連覇も達成、さらに、2007年はアジアチャンピオンズリーグ制覇、リーグ戦2位とこのジンクスから逃れているとも言える。
また、2007年優勝の鹿島アントラーズも2008年開幕ダッシュに成功し、アジアチャンピオンズリーグでも好調なことから過去のものとなっている可能性もある。ただし、ゼロックススーパーカップでサンフレッチェ広島に敗れている。
ここ数年の天皇杯優勝チームの翌シーズンにおける不振について、一部のJリーグ・ファンの間での呼称である。
前に述べられている“天皇杯の呪い”との違いは、1999年の名古屋グランパスエイト、2000年の鹿島アントラーズ、2001年の清水エスパルスを含めることである。1999年の名古屋はそれ以降の成績自体に問題ないものの、ここ数年は中位をさ迷うシーズンが続いている。2000年の鹿島はその後Jリーグ連覇、ナビスコ杯制覇を果たしたが2002年以降長くタイトル獲得から遠ざかり、2003年の2ndステージでは最終節のロスタイムに浦和に追いつかれたために横浜F・マリノスの完全優勝を許し、2005年は前半戦を独走していたにもかかわらず優勝を逃している(主力の多くの選手が代表へ招集されていた影響も考えられる)。2007年になってようやくJリーグ、天皇杯優勝を遂げタイトル欠乏から脱却した。2001年の清水は2000年の2ndステージ以降低迷し、2004年・2005年には残留争いをしている。
1998年は横浜フリューゲルスが優勝した。横浜Fは消滅発表後は無敗であり、チームの存続を願う優勝であったが叶わず消滅した。一連のことをフリューゲルスに結びつけることはフリューゲルスの元選手およびサポーターへの配慮を考えれば、良くない呼び方であるが、現にリヴァプールFCのヘイゼルの悲劇以降の迷走や、スポーツは違うがメジャーリーグ・ボストン・レッドソックスの「バンビーノの呪い」など何かしらの因縁や経緯により優勝から遠ざかったり、低迷したりとした例は実際にある。
偶然にも2006年、横浜フリューゲルスのサポーター達が作り上げた横浜FCのJ1昇格と共に、前述のように2005年天皇杯王者の浦和がリーグ優勝を果たすこととなった(しかも、これも何かの因縁なのか、浦和のヘッドコーチは横浜フリューゲルス最後の監督だったゲルト・エンゲルスであった)。
年度回優勝スコア準優勝
1921年1東京蹴球団1 - 0御影蹴球団
1922年2名古屋蹴球団1 - 0広島高等師範学校