天然痘
不朽の名作から
ケータイ小説(笑)まで

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前史

天然痘の発源地はインドであるとも、アフリカとも言われるが、はっきりしない。恐らく最初は他の動物の病気であったものが、何らかの原因でヒトへの感染性・特異性を獲得したものであろう。最も古い天然痘の記録は紀元前1350年のヒッタイトエジプトの戦争の頃であるが、実際には、人間が農耕を始めて集団で定住生活に入った紀元前8000年頃には既に存在した可能性がある。天然痘で死亡したと確認されている最古の例は、紀元前1100年代に没したエジプト王朝のラムセス5世であり、そのミイラには天然痘の痘痕が認められた。


ヨーロッパ

紀元前430年の「アテナイの疫病」は「アテナイのペスト」とも呼ばれたが、記録に残された症状から天然痘であったと考えられる(他に、麻疹発疹チフス、あるいはこれらの同時流行とする説もある)。165年から15年間ローマ帝国を襲った「アントニウスの疫病(アントニウスのペスト)」も天然痘とされ、少なくとも350万人が死亡した。その後、12世紀十字軍の遠征によって持ち込まれて以来、流行を繰り返しながら次第に定着し、ほとんどの人が罹患するようになる。ルネサンス期以降肖像画が盛んに描かれるようになったが、天然痘の瘢痕を描かないのは暗黙の了解事項であった。


アメリカ

コロンブス到来以降、ヨーロッパ人の殖民とともに天然痘もアメリカ州に侵入し、アメリカ先住民に激甚な被害をもたらした。白人だけでなく、奴隷として移入されたアフリカ黒人も感染源となった。旧大陸では久しく流行状態が続いており、住民にある程度抵抗力ができて、症状や死亡率は軽減していたが、アメリカ先住民は天然痘とは無縁であったため全く抵抗力がなく、所によっては死亡率が9割にも及び、全滅した部族もあった。他にも麻疹や流行性耳下腺炎(おたふく風邪)などがヨーロッパからアメリカに入ったが、天然痘の被害は最大のものであり、ヨーロッパ人のアメリカ大陸征服を助ける結果となった。

北アメリカでは白人によって故意に天然痘が先住民に広められた例もある。すなわち、フレンチ・インディアン戦争では、イギリス軍が天然痘患者が使用し汚染された毛布等の物品を先住民に贈って発病させ、殲滅した。


東アジア・日本

中国では、南北朝時代495年北魏と交戦して流入し、流行したとするのが最初の記録である。頭や顔に発疹ができて全身に広がり、多くの者が死亡し、生き残った者は瘢痕を残すというもので、明らかに天然痘である。その後短期間に中国全土で流行し、6世紀前半には朝鮮半島でも流行を見た。

日本への伝播は6世紀半ばで、『日本書紀』には、「瘡(かさ)発(い)でて死(みまか)る者――身焼かれ、打たれ、摧(砕)かるるが如し」とあり、瘡を発し、激しい苦痛と高熱を伴うという意味で、天然痘の初めての記録と考えられる(麻疹説もある)。735年から738年にかけては西日本から畿内にかけて大流行し、「豌豆瘡(「わんずかさ」もしくは「えんどうそう」とも)」と称され、平城京では政権を担当していた藤原四兄弟が相次いで死去した。奈良大仏造営のきっかけの一つがこの天然痘流行である。ヨーロッパや中国などと同様、日本でも何度も大流行を重ねて江戸時代には定着し、誰もがかかる病気となった。死を免れても痘痕を残し、あるいは四肢末端部の障害失明などの後遺症が残った。


制圧の記録


種痘

天然痘が強い免疫性を持つことは、近代医学の成立以前から経験的に知られていた。いつ始まったのかはわからないが、西アジア・インド・中国などでは、天然痘患者のを健康人に接種し、軽度の発症を起こさせて免疫を得る方法が行なわれていた。この人痘法は18世紀前半にイギリス、次いでアメリカにももたらされたが、2パーセントほどの死亡率を示すなど、安全性に問題があった。 18世紀半ば以降、ウシの病気である牛痘にかかった者は天然痘に罹患しない事がわかってきた。その事実に注目し、研究したエドワード・ジェンナー (Edward Jenner) が1798年天然痘ワクチンを開発し、それ以降は急速に流行が消失していく。 あまり一般には知られていないが、日本の医学会では有名な話として日本人医師による種痘成功の記録がある。現在の福岡県にあった秋月藩の藩医である緒方春朔が、ジェンナーの牛痘法成功にさかのぼること6年前に秋月の大庄屋・天野甚左衛門の子供たちに人痘種痘法を施し成功させている。福岡県の甘木朝倉医師会病院にはその功績を讃え、緒方春朔と天野甚左衛門、そして子供たちが描かれた種痘シーンの石碑が置かれている。


天然痘の撲滅

1958年世界保健機関(WHO)総会で「世界天然痘根絶計画」が可決され、根絶計画が始まった。中でも最も天然痘の害がひどいインドは天然痘に罹った人々に幸福がもたらされるという宗教上の観念が浸透していたため、根絶が困難とされた。WHOは天然痘患者が発生すると、その発病1ヶ月前から患者に接触した人々を対象として種痘を行い、ウイルスの伝播・拡散を防いで孤立させる事で天然痘の感染拡大を防ぐ方針をとった。これが功を奏し、根絶が困難と思われていたインドで天然痘患者が激減していった。

この方針は他地域でも用いられ、1970年には西アフリカ全域から根絶され、翌1971年中央アフリカ南米から根絶された。1975年バングラデシュの3歳女児の患者がアジアで最後の記録となり、アフリカのエチオピアソマリアが流行地域として残った。

1977年、ソマリアの青年の患者を最後に天然病患者は報告されておらず、3年を経過した1980年5月8日にWHOは根絶宣言を行った。天然痘ウイルスは現在、アメリカとロシアレベル4施設で厳重に管理されており非公開になっている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen