大魔神
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この項目では、映画について説明しています。大魔神が愛称の元プロ野球選手については「佐々木主浩」をご覧ください。

『大魔神』(だいまじん)は、1966年昭和41年)に大映(現・KADOKAWA)が製作・公開した日本映画特撮時代劇シリーズ三部作、またその劇中に登場する守護神の名称。
概要

『大魔神』、『大魔神怒る』(だいまじんいかる)、『大魔神逆襲』(だいまじんぎゃくしゅう)の3作とも1966年に大映京都撮影所で製作され、時代劇特撮が巧みに融合された作品である。時代劇の本場であった同撮影所で『座頭市シリーズ』や『眠狂四郎シリーズ』などに腕を振るった安田公義をはじめとする時代劇専門のベテラン監督が起用されており、時代劇としても重厚なリアリティが保たれている。

各作品は独立したエピソードをもつが、日本の戦国時代にて悪人が陰謀を巡らせて民衆が虐げられると、穏やかな表情の石像だった大魔神が復活して動き出し、破壊的な力を発揮して悪人を倒すという舞台や展開を同じくする。

娯楽性を追求して結集させた作風と大魔神の独特の設定で『ガメラ』シリーズと並ぶ大映の特撮映画を代表する看板作品となり、後年の漫画やアニメではしばしばパロディの対象とされ、テレビCMに採用されることもあった。なお、大魔神の元となったのはプロットのみ存在する『ガメラ対宇宙氷人』(『ガメラ対バルゴン』の前身)に登場する「宇宙氷人」である。また、「妖怪シリーズ」などに登場してきた「吸血妖怪ダイモン」は大魔神の影響を強く受けており、橋本力も『妖怪大戦争』にてダイモン役を演じている[1]

日本国外では、 “MAJIN” というネーミングで知られている。
大魔神

大魔神
Daimajin

監督安田公義
脚本吉田哲郎
製作総指揮永田雅一
出演者

高田美和

青山良彦

音楽伊福部昭
撮影森田富士郎
編集山田弘
製作会社大映
配給 大映
公開 1966年4月17日
上映時間84分
製作国 日本
言語日本語
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1966年(昭和41年)4月17日公開。併映作は『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』。大映京都撮影所作品。京都と東京の撮影所を使い分け、同作との自社製作による特撮2本立てという興行スタイルは、円谷英二を擁した東宝すら実現できなかった、日本初のものであった。製作予算は企画副部長だった奥田久司によると1億円で、配収も1億円と大ヒットはしたものの、「結局トントンで、あれだけ苦労して利益なし」だったという。

本作の企画書が大映本社に提出されたのは、1965年(昭和40年)の11月1週目の第124回企画会議でのことで、大映京都撮影所所長だった鈴木?成、企画副部長だった奥田久司により、チェコスロバキア映画の『巨人ゴーレム』(1936年ジュリアン・デュヴィヴィエ監督[注釈 1])で描かれたゴーレム伝説に材を採り[2]、大映京都撮影所の特撮技術を活用する旨となっている。企画時の題名は『大魔神現わる』[3]。作中の小源太や左馬之助などの人名も、奥田によるものである。

大魔神の身長は、画面でのリアリズムを考え、黒田義之特撮監督らによって15尺(約4.5メートル)に決められて2体作られるとともに、着ぐるみも2体作られ、手足などの部分も必要に応じて製作された[4]。黒田はのちに円谷プロダクションのテレビ作品に参加するが、彼によると、これは本作を観た同社社長の円谷一から声を掛けられてのことだという。

大映社長の永田雅一はこの興行を前に、「日本映画界は必ず復興する」との一文を当時の新聞紙上に寄せる意気込みを見せている[要出典]。大魔神シリーズはブルーバック合成が非常に効果を上げているが、この1作目の製作に当たって永田は京都撮影所に、ヨウ素電球190個を菱形に並べた11メートル×4.6メートルの大規模なブルーバック用のライトスクリーンを購入している。交流電気ではライトに光ムラが出るため、このライトスクリーンの電源には撮影所で直流に変換した電流が使用され、万全の態勢で撮影が行われた。大映京都のベテラン撮影技師の森田富士郎によれば、当時の価格で約1000万円という巨費を投じて輸入したこの機材は、大魔神シリーズ以外には同じく京都撮影所作品の『妖怪百物語』(1968年)など、「妖怪シリーズ」を除けばほとんど出番がなかったという。

1作目・2作目ともに本編と特撮両者にまたがってカメラを回した森田は、「本編と特撮両方を1人で撮らなければ空気層にリアリティが出ない」として、「1人で撮る」ことを条件に本作を引き受けた。森田は本作で撮影監督のポジションの重要性を訴え、これを務めている。森田は本作により、新人カメラマンを対象とする三浦賞を受賞した[4]。大魔神シリーズは大規模なブルーバック合成が絶大な効果を上げているが[注釈 2]、当時の合成画面の現像は合成素材のフィルム同士の調子を合わせるために2日寝かせて行わなくてはならず、現像所で合成画面が完成するまで20日かかるものだった。『大魔神』全3作に『酔いどれ博士』(三隅研次監督、勝新太郎主演)を挟んでの撮影を進める中、合成画面1カットの費用が当時の価格で30万円かかるため、その成果に対する心労や撮影スケジュール進行のストレスに、森田は「心臓がおかしくなった」と語っている。このため、『大魔神逆襲』は今井ひろしと連名で撮影を行っている。

大映は本作に先立ち、日米合作の航空特撮映画『あしやからの飛行』(マイケル・アンダーソン監督、1964年)を制作しているが、この際には青く塗装したホリゾント壁を使ってブルーバック合成が行われた。しかし、この手法では色ムラが出てしまうため、合成画面に苦心した。アメリカのスタッフは大映自前の東京現像所を信用せず、ブルーバック合成の現像はアメリカにフィルムを送って行うという状況だった。これを見た森田が、翌年の1965年(昭和40年)に玩具の戦車が大映京都撮影所正面入り口から出て来るというブルーバックのテストフィルムを独自に撮影すると、出来栄えが良かったために所内で評判となり、『大魔神』の企画のもととなったという。

三部作すべてで大魔神役スーツアクターを務めたのは、プロ野球選手出身の橋本力である。橋本を起用したのは黒田義之で、「主役はあんただから」と念を押したという。撮影は芋の粉やコルク屑、炭粉を使った粉塵が飛び交うものだったが、橋本はカメラが回っている間は、決して瞬きをしなかったという。それによって血走った眼が印象的な当たり役となり、『妖怪大戦争』でも吸血妖怪ダイモン役で血走った両眼を見せ、強い印象を残している[6]。荒れてしまった目は、茶でしかきれいにすることができなかったという[7]。森田も「あの人には頭が上がりません」と述べている。

作曲を担当した伊福部昭は、「魔神といっても神様ですから、神々しいイメージでいたところ、映像を見たら、青黒い顔に血走った目玉がギョロギョロ動いて睨みつけるというものだったので、さあこれはえらいことになったと、驚きながら作曲しました」と語っている。伊福部はこの魔神に三音階から成る非常に印象的なテーマ曲を与え、作品世界に重厚な奥行きを構築している。奥田久司によると、奥田をはじめ安田・三隅・森の3監督とも伊福部音楽の大ファンだという。

大映京都のスタッフは、長年築いた時代劇セットのノウハウをつぎ込み、見応えのある建物のミニチュアを制作した。これらは魔神の背丈に合わせ、フィルムの速度も2.5倍にされたうえ、瓦の各個の大きさまで1/2.5の縮尺で統一されているという徹底ぶりであった。崩れる城門は数十人で引っ張り、ブルドーザーも援用している。ラストシーンで崩壊する魔神のミニチュアは、高山良策の手によるものであるが想定通りには崩れず、かなりの試行錯誤が行われている。劇中最後の魔神のミニチュアの崩壊は、上方から圧縮空気を当てて行った。

砦のオープン・セットは、京都の沓掛にあった採石場に組まれた。2作目、3作目のオープンセットもこの沓掛の採石場が使われた。クランク・インは2月3日、クランク・アップは4月10日、テスト期間を入れれば3か月かけて撮影が行われた。
あらすじ

戦国時代、丹波の国の領主・花房家は、家老の大館左馬之助一派の下剋上によって幼い忠文・小笹兄妹の2人を残して滅ぼされ、領民たちは砦の建設のために苦役を強いられることになってしまった。花房の兄妹は忠臣・小源太の叔母で魔神の山の魔神阿羅羯磨(あらかつま)を鎮める巫女の信夫の下に身を寄せ、お家再興の機をうかがう。月日は流れ、忠文と小笹はそれぞれたくましい若者と美しい娘に成長していた。一方、彼らの潜む魔神の山には巨大な武神像があり、領民たちから篤く信仰されていた。これを快しとしない左馬之助は、忠告に上がった信夫の「このまま領民たちを苦しめ続けたら魔神による神罰がある」という言葉を嘲笑い、「神罰があるなら見せてみよ」と信夫を斬り殺し、こともあろうに山中にある武神像の破壊を配下に命じた。小笹が捕まり、その眼前で武神像の額に深々と鏨(たがね)が打ち込まれた。すると、鏨の傷から赤々とした鮮血が滴り始めたのである。


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