大韓民国
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米国との関係

第二次世界大戦後、東西冷戦体制が形成されるなかで、右派を中心とする大韓民国が成立した。1948年11月20日、国会で米軍の無期限駐留要請が決議されたように、大韓民国の成立と、朝鮮戦争での大韓民国の防衛には、アメリカ合衆国(米国)を中心とする国連軍が大きな役割を果たした。1953年米韓相互防衛条約締結によって韓国は米国の同盟国となった。

冷戦期には、韓国は軍事的、経済的に米国へ依存を余儀なくされてきた。多数の韓国人が米国に移住し、在米韓国人数は200万人に達している。またこの間、韓国政府は米政府の要請を受け、ベトナム戦争を送ることを決めた。米国はその見返りとして、韓国が導入した外資40億ドルの内およそ20億ドルを直接負担し、その他の負担分も斡旋し、日本からは約11億ドル、西独などの西欧諸国からは約10億3千万ドル調達した。また、戦争に関わった技術者・軍人・建設者・用役軍納などの貿易外特需(7億4千万ドル)や軍事援助(60年代後半の五年間で17億ドル)も、韓国の高度成長を支えた[2]。こうして韓国は、ベトナム参戦を契機に急成長を遂げていく(漢江の奇跡)。[3]

1990年以降の東西冷戦体制の崩壊や韓国経済の躍進は、この構図を転換する要因となった。韓国はソビエト連邦中華人民共和国ベトナムと次々に国交を樹立し、これらの国々に対する経済投資も拡大している。1998年の金大中政権成立後は太陽政策によって北朝鮮との関係も金泳三政権期に比べて改善された。一方、1999年老斤里事件報道後、在韓米軍に対する反感が強まり、2002年に米軍車両に韓国人女子中学生が轢き殺された事件によって米軍に対する反感がいっそう高まった。同時に米軍兵器の近代化と展開能力の向上により、想定される戦闘の様相が、米軍が駐留し始めた頃とは異なってきているため、米軍が韓国に駐留する必要性は減少している。このため、米国も在韓米軍を削減する政策を打ち出している。

2006年に起きた北朝鮮の「核実験」では北朝鮮との宥和政策を推進する余り、親北反米政策を取ったため米国との関係は冷却化している。


日本との関係

日本が唯一朝鮮半島の正統国家として承認している国であるので、政治・経済・文化などあらゆる分野で緊密な関係にある。

一方で歴史的背景から日本に対して強い敵対意識・ライバル意識を持つ側面もある。特に日韓併合とその統治に対しては否定的な意見が圧倒的に多く、盧武鉉政権になってから日本統治時代の「親日派」の子孫を排斥弾圧する法律(日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)が施行されている。この法律は法の不遡及の原則に反しており、このような法律が施行されることは世界的に見ても極めて異例である。又、表立って日本統治時代の日本(韓国や北朝鮮では「日帝」と呼ばれる)について肯定的に発言する知識人や芸能人などは激しく批判され、入国拒否或いは発言を撤回されられるなど社会的な制裁を受ける。親日派チンイルパを参照。

第二次世界大戦太平洋戦争あるいは大東亜戦争)が終結した後、日本の一部としての立場から米軍統治を経て独立をした。李承晩・金九ら右派民族主義者を中心として建国された当初から、日本と韓国の関係は冷ややかなものであった。当時から韓国側には日韓併合と、それに伴う同化政策に関して謝罪や賠償を行わないことに対する批判があった。一方、日本側には、日本固有の領土である竹島(韓国名は独島:??)を武力によって韓国が不法に占拠し、韓国が日本海上に一方的に李承晩ラインを設定し、この線を越えて操業する日本漁船を拿捕し乗員を不法な抑留、殺害をしてきた事に対する批判があった。この時代には、第一大邦丸事件のように、多数の罪無き日本人が韓国軍人によって殺された。

李承晩政権期は国交断絶状態であったが、朴正煕政権が成立して両国の国交正常化交渉が本格化した。国交正常化交渉の過程では請求権問題が最も紛糾したと言われている。韓国による対日請求権の主張に対して、日本側は日本統治時代に朝鮮半島に投下した資本および引き揚げた日本人が残した財産(GHQ調査で52.5億ドル[4])を主張することで韓国側に対抗した。結局、日韓基本条約とともに締結された「日韓請求権及び経済協力協定」にもとづいて、日本は約11億ドルの無償資金と借款を援助し、韓国は、日本による経済協力と引き換えに対日請求権を放棄した。韓国はその資金をインフラの整備に充て、戦時徴兵補償金は死亡者一人あたりわずか30万ウォン(約3万円)であった[5]。なお、日韓基本条約は米国にとってはインドシナ戦争の後方支援体制作りを進めるもので、この条約によって、韓国がベトナム戦争に軍事貢献し、その韓国を日本が経済的に支える構造がつくられた[6]

1997年アジア通貨危機により、韓国の経済は危機に瀕した。発足したばかりの金大中政権は国際通貨基金の支援とその経済政策を受け入れ、新自由主義的傾向をもつ構造改革政策によって危機を乗り切った。この時期、首相は金大中と立場を異にするものの同じく経済通と呼ばれた金鍾泌であった。IMF支援の際、日本は韓国に対するIMF緊急支援570億ドルのうち百数十億ドル分を負担した[7]

2003年に盧武鉉政権が発足した。盧武鉉政権は当初、歴史問題に言及しないと言明するなど両国関係は良好であるかと思われたが国内においては、日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法を制定するなど一貫して反日的な政策を取っていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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