大韓民国
★制服でHなバイト★
1日5万円★日払い★

[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]


中国との関係

1951年中国人民義勇軍が朝鮮戦争に参戦し、一時はソウルを占領したことにより、韓国と中華人民共和国(以下、中国と略称)の関係は長らく敵対的なものとなった。韓国は中華民国台湾)と親交を深めた。しかし1979年の中国の対外経済開放政策や1990年の東西冷戦体制の崩壊を要因として、韓国の対中政策は転換した。盧泰愚大統領は1992年8月24日中華人民共和国との国交を正常化、中華民国とは外交的に断交した。これ以降、韓国では中国投資ブームが起こり、多くの韓国企業が安い労働力を求めて中国に進出した。現在では韓国の対中投資額は日本のそれを上回り、投資額は国家としては第一位となっている[11]。とくに山東省青島遼寧省大連吉林省延辺朝鮮族自治州には、韓国企業の投資が累積している。また中国に留学する外国人学生数で、韓国はトップを占めるほどになっている。 しかしながら投資額が国家として一位とはいえ、韓国企業の対中投資実行額は04年の62億5000万ドルから、07年には1〜11月段階で32億3000万ドルと3年でほぼ半減のペースとなっている。要因としては08年1月より施行された外資優遇を原則廃止した新たな企業所得税法、従業員の待遇を向上させる労働契約法や現地トラブルも重なり「中国離れ」が加速している ⇒[2]

その一方で韓国民の一部は、中国の超大国化によって韓国が飲み込まれるのではとの恐怖を感じている。将来韓国が北半部を統一した場合、中国と国境を接する可能性がある。中国人民解放軍は、現段階では軍隊の規模は韓国軍よりも大きく、その上装備の近代化を進めている。

他方で、統一後は韓国が中国に対して上位に立つとする見解もある。全体的に見て中国軍の装備は、西側先進諸国の水準にある韓国軍に劣っている。また、有事の際、韓国軍は圧倒的な継戦能力を持つアメリカ軍による物資支援を受けるため、継戦能力においても韓国軍は優勢である。また、中国の経済はバブル経済で実際の成長はそれほどではないとの見方がある。

近年、旧間島問題とも関連して、高句麗が韓民族国家か中国の地方少数民族政権かという歴史論争が、韓国と中国の間で起きている。

近年、中国の経済発展によって貿易総額が拡大、主要貿易相手国として中国が浮上している。輸出総額では、日本は中国、米国に次ぐ3位になり、日本の比重はやや低下している。

韓国の中国における商業スタイルの特徴的な点としては、中国の安い労働力を使い生産するのではなく(無論、中国の安い労働力を求めて進出する企業も存在する)直接投資を続ける一方で市場を攻めてブランド価値の高い製品の輸出を行うことが挙げられる。

WTO香港ラウンドに於いて、韓国の農業従事者が香港で激しいデモ活動を展開した。香港の警察はデモを行った人々を拘束した。

同年11月、端午の節句が「江陵端午祭」としてユネスコに選定され、中国政府関係者が苦言を呈するなど、歴史、文化的な衝突もある。


ソビエト連邦・ロシアとの関係

ソビエト連邦の外交関係も参照

1945年第二次世界大戦終結で、朝鮮半島は北緯38度線を完全な境界線として米軍の南部とソビエト連邦軍の北部に分断占領された。1948年にアメリカ合衆国主導の南北統一総選挙が国連で決議されたが、北部を軍政統治するソビエト連邦が拒否し、南北分断が確定した。同年8月15日には南部単独で大韓民国が成立、追って9月9日にはソ連軍の士官として朝鮮半島に帰還した金日成を指導者とする朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が北部のみで成立したため、韓国は建国当初からソ連と敵対関係になった。

ソ連は朝鮮半島北部で朝鮮労働党の指導による社会主義国家の建設に成功し、朝鮮戦争では北朝鮮軍の南侵を支持したが、国連の安全保障理事会における欠席戦術を逆手に取られてアメリカを中心とした国連軍の編成と介入を許し、朝鮮半島全域への勢力拡大は失敗した。この際、ソ連軍は直接介入を控えたものの、軍事顧問団の派遣や兵器の供給で北朝鮮や中国の軍事作戦を支えた。その後のベトナム戦争では、アメリカの要請に応じてベトナムに出兵した韓国軍が北ベトナムを通じてソ連の支援を受ける南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)と激しい戦闘を行った。この東西冷戦の激しい時期では韓国とソ連の関係は絶たれていた。歴代の韓国の政権は反共主義を唱え、北朝鮮の背後にいるソ連や中国を強く警戒していた。金日成の個人独裁が強化された北朝鮮で親ソビエト派が一掃されても、ソビエト連邦は北朝鮮を朝鮮半島唯一の正統政権と認め、韓国とは全く外交交渉を行わなかった。

1981年、ソウルが1988年ソウルオリンピック開催都市に決まると、韓国はホスト国としてソビエト連邦を含む全ての国を安全に招待する義務を負った。しかし全斗煥政権は対ソ強硬姿勢と国内の民主化運動弾圧を継続し、1983年9月1日には大韓航空の旅客機がソビエト連邦領空を侵犯した後に撃墜された大韓航空機撃墜事件も発生して、両国間の関係は全く改善されなかった。

これが変化したのは、1985年に登場したソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ政権が新思考外交による冷戦の緩和を訴えた以降である。韓国も1987年に成立した盧泰愚政権が民主化を進めつつソビエト連邦や中国との緊張緩和を目指す北方外交を提唱した結果、ソウルオリンピックはソビエト連邦や東欧諸国の参加を得て無事に開催された。この際に両国の接触が本格的に開始され、首脳会談を経て、1990年9月30日に韓国とソビエト連邦は国交を樹立した。1991年にはゴルバチョフが初訪韓(済州島を訪問)し、同年に韓国は北朝鮮と同時に国連加盟を果たした。また、第二次大戦後に旧日本領の南樺太(その後ソビエト連邦がサハリン州に編入)に取り残され、無国籍状態やソビエト連邦国籍になっていた残留朝鮮人の韓国訪問・帰還事業や、第二次世界大戦前にスターリンによって極東の沿海地方から中央アジアへ民族全員が強制移住させられたソビエト連邦国籍の朝鮮人(高麗人と称される)との交流が開始された。

1991年12月にソビエト連邦が崩壊してロシア連邦やその他の共和国が完全な独立国家として成立しても、韓国側からの積極的なアプローチは続いた。


ウラ写メ交換掲示板
■18歳以上「入口」■

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:144 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki