関東大震災の直後、政府は大蔵省の敷地内にあった平将門の首塚を取り壊し、そこに仮庁舎の建設を計画した。その時起きた異変で時の大蔵大臣早速整爾ほか十四名が謎の死を遂げ、将門の祟りかと恐れおののいた政府は慌てて首塚を元の様に戻している。また1940年は将門没後丁度千年目であったが、激しい落雷で当時の大蔵省を初めとする官庁街は火災のために全焼し、慌てた大蔵大臣が将門鎮魂祭を催したという。首塚に手を付けると何かが起こると言う伝説は今もなお生き続けている。
日本では、大蔵省という名称が大宝律令以来、約1200年前から使われて来ており、明治維新で復活してからもその名称は変わらず、再編時には長年使用されて来た名称の変更に反発する大蔵官僚の声も多く発せられた。これに対して、橋本龍太郎は「では検非違使庁を復活させるか」と皮肉ったという。結局、池田勇人の揮毫した大蔵省の門標も片付けられ、新しく財務省の看板が設置されると、涙を飲んで大蔵との別れを惜しむ官僚もいた。その最たる者が最後の大蔵大臣(初代財務大臣でもある)となった宮沢喜一である。他の大臣が新官庁の門札に関し、自ら嬉々として揮毫したり、文字に自信のない者は有名書家に書かせるなど思い入れたっぷりだったのに対し、宮澤はコンピュータの楷書体の文字の中から、いろいろと注文をつけながら、文字を選定した[1]。大蔵省最後の日、記者の「やはり感慨がありますか」との問いに、「まあこの(門の)下から出征もしたからね」と憮然として答えた。なお英訳は両者ともMinistry of Financeである。
首相経験者
若槻禮次郎
濱口雄幸
池田勇人
福田赳夫
大平正芳
宮澤喜一
大臣経験者
勝田主計
中村是公
賀屋興宣
前尾繁三郎
橋本龍伍
愛知揆一
村山達雄
鳩山威一郎
相澤英之
太田正孝
山下元利
越智通雄
藤井裕久
野田毅
大原一三
柿澤弘治
伊吹文明
中山成彬
中山恭子
学界
大内兵衛 東京大学教授、法政大学総長
北野弘久
秦郁彦 プリンストン大学大学院客員教授、拓殖大学教授、千葉大学教授、日本大学教授、法学博士
野口悠紀雄 青山学院大学大学院教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院教授
吉田和男 京都大学教授
榊原英資 慶應義塾大学教授、早稲田大学客員教授
その他
長沼弘毅 公営競技調査会会長、公正取引委員会委員長、日本コロムビア会長、シャーロキアン
三島由紀夫 小説家
村尾信尚 関西学院大学教授、日本テレビ系列『NEWS ZERO』メインキャスター