大正時代前後に都市を背景にした大衆文化が成立した。今日に続く日本人の生活様式もこの時代にルーツが求められるものが多い。
東京においては、震災の影響が総じて少なかった丸の内、大手町地区にエレベーターの付いたビルディングの建設が相次ぎ、一大オフィス街が成立した。下町で焼け出された人々が世田谷、杉並等それまで純然たる農村であった地域に移住して、新宿、渋谷を単なる盛り場から「副都心」へと成長させた。それより先大阪では、おびただしい私鉄網が完成し、なかんずく阪神急行電鉄の巧みな経営術により、大阪平野に広大な住宅衛星都市群が出現した。東京帝大の卒業生の半数が民間企業に就職するようになり、「サラリーマン」が大衆の主人公となった。明治時代まで呉服屋であった老舗が次々に「百貨店」に変身を遂げ、銀座はデパート街へと変貌した。
明治神宮外苑に「神宮外苑野球場」ができたのが1926年(大正15年)、その前年出発した「東京六大学野球」が愈々隆盛をきわめるようなる。「大阪朝日新聞」、「大阪毎日新聞」が100万部を突破して東京に進出、それに対抗した読売新聞も成長を果たして、今日「三大紙」といわれるようになる新聞業界の基礎が築かれた。1925年(大正14年)3月には、東京、大阪、名古屋でラジオ放送が始まり、新しいメディアが社会に刺激を与えるようになる。震災で鉄道が被害を受けたこともあって、「自動車」が都市交通の桧舞台にのし上がり、「円タク」の登場もあって、旅客か貨物であるかを問わず陸運手段として大きな地位を占めるようになる。都市部では新たに登場した中産階級を中心に“洋食”が広まり「カフェ」「レストラン」が成長、飲食店のあり方に変革をもたらした。また、コロッケなどの登場によりそれまで洋食とは縁のなかった庶民の食卓にまで影響が及ぶこととなった。明治時代まで庶民に縁のなかった「欧米式美容室」、「ダンスホール」が都市では珍しい存在ではなくなり、男性の洋装が当たり前になったのもこの時代である。一方、地方(特に農漁村)ではそういった近代的な文化の恩恵を受けることはまれで、都市と地方の格差は拡大していった。
文学界には、芥川龍之介や白樺派の人道主義(ヒューマニズム)が台頭した。 このころまでに近代日本語が多くの文筆家らの努力で形成された。今日に続く文章日本語のスタイルが完成し、芥川龍之介、有島武郎・武者小路実篤・志賀直哉ら白樺派、中里介山の『大菩薩峠』や『文藝春秋』の経営にも当った菊池寛などの文芸作品が登場した。同時期の1921年(大正10年)には、小牧近江らによって雑誌『種蒔く人』が創刊され、昭和初期にかけてプロレタリア文学運動に発展した。また1924年(大正13年)には、演劇で小山内薫が築地小劇場を創立し、新劇を確立させた。新聞、同人誌等が次第に普及し、新しい絵画や音楽、写真や「活動写真」と呼ばれた映画などの娯楽も徐々に充実した。
この当時、社会事業をめぐる議論が盛んとなり、米騒動後には政府・地方で社会局および方面委員制度の創設が相次いで行われ、それらの機関によって都市の貧民調査や公設市場の設置などが進められていった。 また1919年(大正8年)には、第一次世界大戦を契機とした国民の思想・生活の変動に対処するという目的で内務省の主導による民力涵養運動が開始されており、後の教化総動員運動の先駆けともなる、国家が国民の生活の隅々まで統制を行おうとする傾向がこの時期から見られるようになる。
こうして大正時代において社会事業が活発となった原因として、小作争議の頻発や労働運動の大規模化など、地方改良運動に見られるような従来の生産拡大方針では解決不可能な問題が深刻化したことが指摘されている。
略年表
1913年(大正2年):大正政変
1914年(大正3年):シーメンス事件、第一次世界大戦勃発
1917年(大正6年):ロシア革命
1918年(大正7年):シベリア出兵、米騒動
1919年(大正8年):パリ講和会議、選挙法改正
1920年(大正9年):国際連盟設立、尼港事件
1921年(大正10年):原敬首相東京駅で暗殺
1922年(大正11年):ワシントン会議
1923年(大正12年):関東大震災
1924年(大正13年):排日移民法が米国連邦議会で成立
1925年(大正14年):治安維持法制定、普通選挙法
大正元年2年3年4年5年6年7年8年9年10年
西暦1912年1913年1914年1915年1916年1917年1918年1919年1920年1921年
干支壬子癸丑甲寅乙卯丙辰丁巳戊午己未庚申辛酉
大正11年12年13年14年15年
西暦1922年1923年1924年1925年1926年
干支壬戌癸亥甲子乙丑丙寅
明治天皇が崩御して、新元号をスクープしたのが朝日新聞の緒方竹虎である。