1942年2月12日、連合艦隊旗艦となる。同5月29日、ミッドウェー作戦により柱島泊地を出航したが、主隊として後方にいたため海戦の戦闘には参加しなかった。同6月14日柱島に帰投。以後も、トラック島での長期間の停泊を含めて実戦に不参加だった状況を指して「ヤマトホテル」と揶揄されもした。
機動部隊と同行しなかったのは、戦前からの艦隊決戦思想と同じく、空母は前衛部隊、戦艦は主力部隊という思想の元に兵力配備をしたからであり、艦艇の最高速度とは直接関係はなく、編成上は戦艦が主力の扱いであったためである。
米側はミッドウェー海戦の報を受け、戦艦「テネシー」、「ミシシッピ」、「アイダホ」、「ニューメキシコ」、護衛空母「ロングアイランド」を中心とする第1任務部隊をサンフランシスコより出撃させている。この部隊はハワイ西北1,200浬で戦艦「コロラド」、「メリーランド」と合同し、日本艦隊の西海岸攻撃に備えており、この時点では空母部隊を前衛として戦艦を運用するという思想には両軍とも差がなかった(日本艦隊が空母喪失後もあくまでミッドウェー攻略に固執した場合、米戦艦6隻は同島防衛に動く可能性もあった)。
1942年8月17日、ソロモン方面の支援のため柱島を出航。同8月28日、トラック入港。1943年2月11日、連合艦隊旗艦任務を大和の運用経験を踏まえて通信、旗艦設備が改良された大和型2番艦「武蔵」に移揚。5月8日トラック出航、柱島へ向かう。呉では対空兵器を増強し、再びトラックに向かったのは8月16日。3ヶ月前より戦局は悪化し、ソロモン諸島では激戦が行われていた。10月中旬マーシャル群島への出撃命令が下る。米機動部隊がマーシャルに向かう公算ありとの情報を得たからである。旗艦武蔵以下、大和、長門などの主力部隊は決戦の覚悟でトラックを出撃した。しかし、4日間米機動部隊を待ち伏せしても敵は来ず、10月26日にトラック島に帰港。
1943年12月25日、トラック島西方180海里で米潜水艦「スケート」より攻撃を受け、3番砲塔右舷に1本被雷する。破口はバルジのみであったにもかかわらず、爆発の衝撃で舷側鋼板の上下の継ぎ目が内側に押し込まれ、機械室と火薬庫に想定外の浸水被害を受けた。敵弾がこの部分に命中すると甚大な被害を受けるという欠陥が明らかになった。トラックで応急修理を受けた後、内地に帰還。この欠陥については修理時に補強されたが、その具体的内容は不明である。
1944年6月15日、マリアナ沖海戦に出撃。機動部隊同士による決戦が繰り広げられる中、米軍攻撃隊に向けて三式弾27発を放った。大和が実戦で主砲を発射したのはこれが最初である。しかし同じ海戦において、周囲艦艇とともに日本側第一次攻撃隊をアメリカ軍機と誤認し高角砲などで射撃、数機を撃墜するという失態も犯している。ブルネイから出港し、レイテ湾へ向かう艦隊
(右から長門・武蔵・大和…1944年10月)シブヤン海海戦で第一砲塔に直撃弾を受ける大和(1944年10月24日)
同10月22日、レイテ沖海戦に参加。第二艦隊第一戦隊として米軍上陸船団の撃破を目指し出撃。23日早朝に旗艦愛宕が潜水艦に撃沈されたため、大和座乗の第一戦隊司令官の宇垣纒中将が一時指揮を執った。夕方に栗田健男中将が移乗し第二艦隊旗艦となった。24日、シブヤン海で空襲を受け、僚艦武蔵を失う。25日、サマール島沖にて米護衛空母艦隊と交戦、主砲弾を104発発射したが、この時の戦果に付いては諸説ある。
有名なものに、米の護衛空母「ガンビア・ベイ」に大和の主砲弾一発が命中して大火災を起こしたと証言する意見もあるが、ただこれは主に当時、乗員であった者からの言葉や日記などから世間に広まったという傾向が強い(重巡利根艦長黛大佐は、著書で戦艦部隊の主砲弾で敵空母が大火災を起こしたような事実はなかったと、強く反論している)。また、米側記録にも該当する大火災発生の事実はなく、同艦は0801に重巡の20.3センチ砲弾を受けたのが最初の被弾とされている。大和が空母を砲撃したのは0709までの間であり、大和主砲弾が命中した可能性はほとんどない。「当たって欲しい>当たったはず」という精神作用が、防御煙幕や至近弾を火災の煙と誤認させたものと思われる。本海戦において、栗田艦隊の将兵は(至近砲戦に移行してからでさえ)護衛空母と正規空母の識別すらできない精神状態にあったことは有名で、その目撃証言の信頼性はきわめて低い。
大和に突入しようとしたフレッチャー級駆逐艦「ジョンストン」を副砲の射撃により撃沈したともいう証言もある。米側には0725-0730頃、米駆逐艦「ホーエル」「ジョンストン」が戦艦からの主砲・副砲弾を受けたという記録が残っているが、米側が両艦を砲撃した戦艦としている金剛は、0725にスコールに入ったために射撃を中止しており、同型艦の榛名もこの時刻には射撃していないことから、0727の主砲射撃で「巡洋艦轟沈」を報じた大和の射撃が命中した可能性もある。ただし、この時期には、七戦隊の日本重巡各艦も「ホーエル」「ジョンストン」を砲撃していたため、これも確実なものとは言えない。
いずれにせよ、この砲撃で米駆逐艦が致命傷を負った形跡はないことから、命中弾があったとしても「戦艦の主砲弾で」艦橋上のMk37射撃指揮装置を吹き飛ばされた「ホーエル」ではないかと言われている。「ジョンストン」も、十戦隊の軽巡「矢矧」以下が止めを刺しているため、大和が敵艦を直接葬った可能性はない。なおこの海戦で、大和が電測射撃で重巡鳥海を味方撃ちしたという説もあるが、鳥海及び筑摩が損傷した時期には、日本戦艦がこの両艦を誤射するような射撃機会を得ていないため、これは誤解である。
レイテ沖海戦では往復の航程で米軍の爆撃により第一砲塔と前甲板に4発の爆弾が命中したが、戦闘継続に支障は無かった。砲塔を直撃した爆弾は、装甲があまりにも厚かったため、天蓋の塗装を直径1メートルほどに渡ってはがしただけで跳ね返され、空中で炸裂して付近の25ミリ機関砲の操作員に死傷者が出た(第二砲塔長であった奥田特務少佐の手記によると、爆弾が命中した衝撃で第二砲塔員の大半が脳震盪を起こし倒れたと云う)。また前甲板の爆弾は鋲座庫付近に水面下の破孔を生じ、約4,000トンもの浸水が発生した。
レイテ湾の入り口まで来たが、結局栗田長官は近隣に米機動部隊が存在するとの誤報を受けて反転を命じ、突入することなく引き返している。引き返す途中、ブルネイ付近でアメリカ陸軍機が攻撃にきた。残弾が少ないため近距離に引き付け対空攻撃をし、数機を撃墜した。
詳細は坊ノ岬沖海戦?を参照