多田野数人
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スキャンダル

2002年の夏ごろからインターネット週刊誌で「ゲイビデオに多田野そっくりの男優が野球部の後輩たちと出演している」との噂が流れ、立教大学野球部の監督である齋藤章児が事実を認めた[25][26]。この頃、多田野は同年のドラフト会議の目玉選手の1人とされていて、自由獲得枠での獲得を目指した複数のプロ球団による争奪戦が展開されていた。特に有力視されていたのは横浜ベイスターズだったが、直前で指名を回避し、その理由を「諸般の事情を総合的に検討した結果」と説明した[27]。その後、福岡ダイエーホークスが獲得に乗り出すなどの動きもあったが、結局同年のドラフト会議(11月20日)ではどの球団も多田野を指名しなかった。当時のスポーツメディアは、その理由を「故障のため指名回避」と伝えた。これには、同会議直前に多田野が右肩と右肘の治療を理由にIBAFインターコンチネンタルカップ出場を回避していた事実も関係している。

2004年にメジャーデビューするも、北米でもゲイビデオ出演の過去が伝えられた。同じロッカーで着替えもシャワーもオープンという北米スポーツ界では同性愛は当時タブーであり、北米4大プロスポーツリーグ(MLB、NFLNBANHL)で現役時代に同性愛者と告白した選手はおらず[注釈 2]、多田野はゲイビデオ出演についてコメントが迫られた。2004年1月23日に記者会見で「大学時代に(そのような)ビデオに出たことがあり、今はとても後悔しています。当時は若くお金が必要でした。たった一度の過ちであり二度と同じ間違いはしません」「僕はゲイではありません。これだけははっきりと真実を伝えたかった」と説明した[28]。この釈明を経て多田野はチームメイトに受け入れられ、北米で野球をプレーし続ける道を得ることになった[28]

日本ハム入団以降は、元同僚の森本稀哲のジョークのネタにされる[29] ほど、受け入れられていた。また、石川ミリオンスターズ時代には「失敗して当然。この中で一番デカい失敗してるの多分俺だけども(笑)」と自虐ネタにしている[30]
選手としての特徴多田野の投球フォーム

映像外部リンク
多田野の超スローボール(動画)
世界一の幻惑投球!? 驚いた松田宣浩はボールを見ず? - 2012年5月1日のNPB公式戦より、パ・リーグTV公式YouTubeチャンネル

大きく振りかぶりながら最終的に野手のような手投げで投げる、ギクシャクした独特の変則フォームを駆使する。岩本勉はその手投げから「ガチョーン投法」と命名し、『FFFFF』では多田野自身に許可をもらっている。この投法は股関節など体の硬さに由来し、投球時の踏み出しが普通の投手ならば6-7足分のところ、多田野は4足分程度であり、突っ立ったままのようなフォームになる[注釈 3]。しかし体の軸がしっかり安定しているため、コントロールが安定している。ボールを離すぎりぎりまで体が開かない特徴もある。総じて体の回転よりも後ろから前へ手を突き出す独特のフォームはMLBで会得したという[31]。上記のように、あまりにも独特な投球フォームで投げるため、高校時代と大学時代に指導者からフォームを直すよう指摘されたこともあった。大学時代は「最速153km/hの本格派」と謳われていたが[注釈 4]メジャーリーグから帰ってきたときは最速140km/h程度で、どのボールも微妙に揺れて芯やタイミングを外す、というメジャーリーグ特有の投球術を身に付けていた[注釈 5]

球種はスライダーツーシーム・ファストボールサークルチェンジフォークボールなど。後述のスローボールにもサインがあると語っている[31]。特にスライダーは切れ味が鋭く、「鬼スライダー」とも呼ばれる[注釈 6]。サークルチェンジは数種類投げ分け、もっとも遅いものは球速90km/h台である。また、フォークボールが大きな決め球であった。

他に大きな山なりの弧を描く、60-70km/hの超スローボールを持つ[注釈 7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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