サマータイムを実施したことがない地域
サウジアラビア
タイ
パプアニューギニア
ベネズエラ
エチオピア
赤道に近く緯度が低い国では、サマータイムを実施しない傾向が強い。
導入国における廃止議論
ドイツで2008年に実施されたアンケートでは制度維持に賛成は30.6%、廃止が66.0%、その他3.3%という結果であった[6]。その理由としては「省エネ効果が無い」「切り替えの時期に体調を崩す人が多い」というものが挙げられている。
ロシアでは切り替えの時期に救急車の出動や心筋梗塞による死亡者が増加するとの理由で、2008年にサマータイム廃止法案が議会下院へ提出されている[7]。
日本は敗戦し、米軍などにより占領統治された。その時期に、1948年4月28日に公布された夏時刻法に基づいて、同年5月から毎年(ただし、1949年のみ4月の)第1土曜日24時(=日曜日1時)から9月第2土曜日25時(=日曜日0時)までの夏時間を実施していた(詳しくは夏時刻法を参照)。結局、サマータイムは4回(4シーズン)実施された、1951年に講和条約(=占領を終わらせる条約)が締結され、翌1952年4月28日に占領が終了した。それに先立って1952年4月11日に夏時刻法は廃止された。よって5回目の夏時間は実施されていない。
以後、日本では法律に基づく全国一斉の本格的なサマータイムは実施されていない。
1995年頃からは省エネなどを名目としたサマータイムの再導入が一部議員を中心に検討され始めた。
衆参両院超党派の100名を超える国会議員たちにより2004年8月に「サマータイム制度推進議員連盟」が設立された。会長は第一次小泉内閣経済産業大臣だった平沼赳夫(経産省は電力などを管掌)。2005年に法案提出の動きがあったができなかった。平沼自身は、郵政選挙で自民党を離党し、政治の表舞台から消えるとともに“反自民”の象徴となった。以降この議連による動きは止まったままである。
2007年春には、日本経済団体連合会(日本経団連)が自由民主党に対して夏時間の導入を提案した。同年8月1日から8月31日までの1か月間、日本経団連は経団連会館内で、始業・終業時刻を通常より1時間繰り上げる(早める)「サマータイム勤務」(エコワーク)を実施した。
福田康夫内閣は地球環境(特に地球温暖化対策)と生活者の重視を旗印にしており、洞爺湖サミット等でも強力に推進する予定である。自民党は2008年4月に地球温暖化対策推進本部を立ち上げた。会長は野田・元自治相であり「(国民の)地球温暖化対策に対する意識変化を国民運動的に求めていく」としている。サマータイムは政府のなすべき温暖化対策・環境対策の切り札として位置付けられている。とりわけ、地球温暖化対策に対する意識変化を起こさせるという意味で決定的と考えられている。2008年5月13日、自民党地球温暖化対策推進本部は、サマータイム法制化・完全導入への作業を本格的に開始した。2009年夏から制度導入させたい意向である。
日本では過去サマータイム制を導入しながらも廃止した経緯があり、根強い不信感がある。NHKオンラインの実施したアンケート[8]では、反対派が賛成派をわずかに上回った。具体的には、次のような懸念がある。
生活リズムが混乱する。これについては「昼食の時刻は昼間の真ん中の12時」と子供のころから習慣になっている日本人の場合、諸外国と異なり「昼食時刻の認識の正確さを利用して、無意識のうちに日周体調リズムを取っている」との説がある。そして夏時間の導入は、西日本においては「(自然時間の)正午」と「12時」とを分裂させるため、「2つの昼食時刻」を生じさせ、リズムを取る方法として利用できなくなることが、その混乱の引き金になるのである。なお昼と夜の日照有無の認識だけで24時間リズムが常に保たれるとは限らない点については、下記参考文献を参照のこと。このことは、既に夏時間を導入している国であるスペインで、夏季に時差を慣らす実験がこれらの問題に興味を持つ執筆者ら有志により行なわれ、確認された。おそらくは、これと(日本における)前回導入時の、もともと自然の少ない都市部での苦情「疲れてだるい(日本睡眠学会 ノートルダム清心女子大学 石原金由教授らの調査)」とは何らかの関連があるものと見られる。
日本列島は縦に細長いため、北海道と沖縄で大きな日照時間差があり、全国一律にサマータイムを導入するには不適。西日本において、日の出時刻が1時間繰り下がる(遅くなる)と、暗い中を生徒・児童が登校することになり、交通事故の危険性が高まる(沖縄県那覇市の場合で4月1日は6時20分ごろから7時20分ごろになる。