菱沼一憲(国立歴史民俗博物館科研協力員)は著書『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』(角川選書、2005年)で、この合戦について以下の説を述べている。
文治元年(1185年)2月、屋島の戦いに勝利した義経は、1箇月かけて軍備を整えつつ河野通信や船所正利など水軍勢力を味方に引き入れ、瀬戸内海の制海権を握っていった。一方、平家の残る拠点は彦島のみであり、兵糧・兵器の補充もままならない状況であった。また、豊後へ渡った源範頼軍によって九州への退路も塞がれていた。
正午頃、戦いが始まった。両軍とも、できるだけ潮流に左右されずに操船できる時間帯を選んだのであろう。平家方は序盤は鎌倉方が静まり返るほど矢を射かけて互角以上に戦っていたが、射尽すと逆に水上からは義経軍に、陸上からは範頼軍に射かけられるままとなり、防御装備の貧弱な水手・梶取たちから犠牲となっていった。この結果、平家方の船は身動きが取れなくなり、平家方不利と見た諸将は鎌倉方に雪崩を打って寝返った。
敗戦を覚悟した平家一門は次々と海へ身を投げていった。これは、範頼軍の九州制圧、義経軍の四国制圧、鎌倉方による瀬戸内海制海権の奪取という包囲・孤立化の完成に伴う必然的結末であった。
関連項目下関市前田町の「平家の一杯水」。壇ノ浦の戦いで深傷を負った平家の武将が水溜まりを見つけ、飲んでみると真水だった。もう一口飲もうとしたら塩水になっていたという伝説が残る。
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参考文献
森本 繁『源平 海の合戦 史実と伝承を紀行する』(新人物往来社、2005年) ISBN 4-404-03233-1
菱沼一憲『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』(角川選書、2005年) ISBN 4-04-703374-X
カテゴリ: 治承・寿永の乱の戦闘 | 山口県の歴史 | 下関市 | 海戦 | 水軍
更新日時:2008年7月29日(火)22:18
取得日時:2008/08/30 18:08