知らせを聞いた内務卿大久保利通は、ただちに西郷従道とともに参内。岩倉が軽傷と知ってひとまず安心するが、不平士族による政府高官の襲撃という事態を重く見た大久保は、ただちに警視庁大警視川路利良に早急な犯人捜索を命じた。その甲斐あって事件の3日後の1月17日には、武市熊吉ら9人は逮捕された。現場に残された下駄が手がかりになったという。同年7月9日、全員が斬罪に処されている。
なお4年後の明治11年(1878年)、喰違見附のすぐ先にある紀尾井坂で、大久保利通が石川県士族島田一良らに襲撃されて、暗殺されている(→紀尾井坂の変)。
関連項目
岩倉具視
征韓論
川路利良
紀尾井坂の変
士族
カテゴリ: 日本のテロ事件 | 明治時代の事件 | 暗殺
更新日時:2008年4月14日(月)15:09
取得日時:2008/08/14 19:08