春場所
呼称については初場所も参照。
多い年では200人前後の新弟子が初土俵を踏み、「就職場所」の異名がある。
「荒れる春場所」と呼ばれ、番付上位が負けるいわゆる波乱の結果が多いとされる。
もともと大阪には大坂相撲の歴史があって相撲人気の根強い土地であり、毎年大いに盛り上がる場所である。
朝潮太郎 (3代)がこの場所で強く、昭和31年(1956年)から3連覇するなど通算5回の優勝のうち4回を大阪で達成、「大阪太郎」と呼ばれた。他に北勝海が通算8回優勝のうち4回が大阪での優勝。
横綱が負けた時に起こる「座布団の舞」、この場所では他場所に比べてより多くの座布団が舞う。
名勝負
昭和35年(1960年)千秋楽若乃花-栃錦史上初めて、全勝力士同士が千秋楽結びの一番で優勝を争う形になった。栃錦が無理にまわしをきりにいったところを若乃花が一気に寄り、自身初の全勝優勝。栃若最後の一番にもなった。
昭和50年(1975年)千秋楽貴ノ花-北の湖(優勝決定戦)国民的人気を背負った貴ノ花の初優勝。両差しから北の湖を寄り切って優勝が決まった瞬間には、負けた北の湖が「天井が見えなかった」と後に語ったほどの座布団が舞った。
80年代、昭和最後の大横綱千代の富士と後に貴乃花として平成の名横綱になる貴花田の初顔合わせの一番。この一番で、千代の富士は寄り切られて完敗。貴花田は初金星を獲得。一方、千代の富士は2日後に現役引退。力士の世代交代の時を世間に知らしめた一番となった。
名古屋場所
本場所となったのは昭和33年(1958年)で、6場所の中では一番後である。
日本相撲協会と中日新聞社の共催となっている。相撲協会以外の団体が本場所の主催元になっているのは名古屋場所だけである。このため、会場の愛知県体育館の館内には中日新聞社の社旗も見られる。また、中日新聞社で桝席の販売も行われている。
「荒れる名古屋」で知られる。夏場の開催となって、体調管理が難しいことから調子を落とす上位力士も多いのが、その要因と言われている。生涯ただ一度の優勝をこの場所で果たした力士も多い。
かつては場所後の夏巡業の日程を確保するために6月下旬から始まったこともあった。
大正12年(1923年)の関東大震災による東京の国技館焼失のため、翌年の一月場所が名古屋市内の仮設国技館で行われた。
昭和47年(1972年)に高見山大五郎が外国人力士として初めての優勝を遂げた。
名勝負
平成5年(1993年)千秋楽曙-貴ノ花-若ノ花(優勝決定戦)昭和63年(1988年)春初土俵の同期生3人による巴戦。横綱昇進のかかる大関貴ノ花が結びの一番に勝って決定戦に持ち込んだが、曙が連勝、横綱初優勝を決めた。場所後若ノ花は大関昇進。優勝-優勝同点の貴ノ花の昇進は見送られた。
秋場所2006年、土俵に上がり、大相撲秋場所千秋楽の優勝者表彰式に臨む安倍晋三
長期に及ぶ夏巡業の後の本場所であるため、ここで大きく「化ける」力士も多い。
俳句では相撲は秋の季語。
名勝負
昭和59年(1984年)千秋楽琴風-小錦入幕2場所目で上位力士をなぎたおし優勝を争っていた「小錦旋風」を、三役陣最後の砦として琴風が止めた一番。結果、蔵前国技館最後の優勝は平幕の多賀竜となった。
九州場所
昭和32年(1957年)の新設から4年連続で大関以下が優勝、「横綱が優勝できない場所」と言われたが、昭和36年(1961年)に大鵬が優勝して、ようやくそのジンクスが破られた。
千代の富士の昭和56年(1981年)から昭和63年(1988年)までの8連覇は同一場所連続優勝の最多記録。
地方で行われる本場所の中でも、最も地元出身力士への声援が大きい。毎年、初日の前日に前夜祭が開かれ、九州出身力士が紹介される。とりわけ2007年初場所現在大関である魁皇には、福岡県出身ということもあって大きな声援が飛び、相撲の観客からは珍しい「魁皇コール」が場内から起こるほどである。