史的イエス
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したがって、物語の中のどの言葉が編集のために福音記者が補った言葉(編集句)であるか特定をすることで伝承を洗い出すことが行なわれ、「論争」、「奇跡行為」、「伝説」などの教団の「生活の座(Sitz im Leben)」のどこにその伝承が位置付けられるかを明らかにすることで、イエスの歴史的実像に関する諸伝承の成文化以前の歴史的価値を決定しようとする。

この「様式史研究」をさらに発展させた新たな試みがH・コンツェルマン(1960年)らによって始められた。この研究を「編集史研究」と呼び、それぞれの福音書がどのように編集されたか(編集句)を想定することで、それぞれの福音書の著者の思想的傾向や文書成立の歴史的背景による文書の特性や編集方法の特異性が明らかとなると主張、それらの福音書ごとの特性を傍証にして、歴史的なイエスの実像にさらに迫れる足がかりとしようとする。日本でも荒井献田川建三らによって進められている。

これらの議論の経緯からもわかるとおり、史的イエス研究は、主たる歴史資料となる福音書そのものの歴史的な価値をどう評価するかに大きく左右されている。また同じ研究手法を採用しても、個々の語句の歴史的評価が研究者によって異なるため、研究者ごとに結論が大きく異なる場合が日常茶飯事である。さらに日本における編集史研究の流行の中では、学説で想定された資料であるQ資料の存在による二資料仮説を前提とした議論が大きくなされているのとは対照的に、欧米においてはマルコ福音書の先行性を否定したりQ資料の存在に強く反対する史的イエス研究も根強く存在していることには、特に注意が必要である(Q資料および福音書の「共観福音書の問題」の節を参照)。

史的イエスの問題をめぐって、聖書学界全般の「定説」とできるような研究法や学説は意外に少ないといえよう。


史的イエス研究によるイエス像


イエスの生年

キリストの降誕も参照

一般に、イエスの生年は紀元前7年 - 紀元前4年頃とされているが、これは『マタイによる福音書』2章の、イエスがヘロデ大王の治世(紀元前37年 - 紀元前4年)の末期に生まれたからという記述から推定されているものである(しかし、マタイのこの伝承を事実とする積極的な根拠はない)。養父はヨセフ(実父は不明)、母はミリアム(マリア)という名前であったことは、エルサレム教団にイエスの親族であるヤコブ(イエスの兄弟姉妹はヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの4人の男子と女子2人がいたとされる)がいたとされることを思えば、信用しても良いのかもしれない。イエスの幼少時代はルカのみが伝えるが、これは史実としては認められていない。イエスは、アラム語の話者であったと言われている。


洗礼者ヨハネとの関係

ヨハネを除く共観福音書のいずれにも、洗礼者ヨハネ洗礼(バプテスマ)を受けたことが記述され、また何度もヨハネに対する優位が強調されていることから、イエスは当初ヨハネの運動に参加しており、その弟子であった可能性は高い。ヨハネは世捨て人のような存在で、その隠者的な生活から、エッセネ派との関係が指摘される。異なるのは、エッセネ派が完全に民衆から離れた生活を送っていたのに対し、ヨハネは民衆に説教をしていたということである。

イエスはヨハネともさらに異なるエッセネ派の出身と考える学者もいるが、賛同は得られていない。ヨハネはヨルダン川のほとりに留まり、そこを訪れたものに対して説教をしたが、イエスは自分の足で方々を歩き回り、教えと癒しをしてまわったのである。加えて、生前のイエスのおこないに対する悪評を伝えている可能性のある一句、「大食で大酒飲」(マタイ 11:19)はエッセネ派の厳格主義と大きく異なっているといえる。


イエスの没年

イエスの没年は、当時のユダヤ属州総督ポンティウス・ピラトゥス(ポンテオ・ピラト)の在任が、紀元26年 - 36年であること、前述したイエスの生年の上限が紀元前4年であること、またイエスが30歳ごろに宣教を始めたというルカの記述(3章23節)などから総合的に判断して、紀元30年前後と考えられる。伝道の期間は、四福音書に記録されている祭りの回数などから、1 - 3年ほどという非常に短い期間だったと思われる。十字架刑であったことも、四福音書内の伝承の性格から見て、極めて確度が高いといえるようである。


イエスの思想

史的イエスの思想を考えるには、福音書中に記述されているイエスが語ったとされる言葉から、真正なイエス語録を抜き出す作業が必要である。19世紀には『マルコによる福音書』に基づいて復元が可能であるとも期待されたが、研究の進展は、福音書がイエス語録と筆者の神学的立場の容易にほどきがたい統合であることを示した。とくにイエス語録と発言の状況の組み合わせは、実際の状況より多く福音書著述時の状況を反映しているといわれる。したがって真正なイエス語録の復元は難しく、復元の試みはいずれも推量の域を出ない状態にある。

比較的近年までは、イエスの思想の核を当時のユダヤ教批判ならびに終末論と捉える解釈が多数派であった。即ち、次のようなものである。

いまや、神の国の到来は近い。(マタイ 4:17)

その時、人は裁かれ、善人は神の国に入り、悪人はゲヘナ地獄)に処される。(マタイ 10:28)

お前たちは神の国に入れるよう、善く生きよ

この場合、イエスの「敵を愛せ」(マタイ 5:44)であるとか「人を裁くな」(ルカ 6:37)といった倫理的な教えは、この天の国へ入ることを目的とする具体的方法・手段と考えられ、またファリサイ派に代表される既成宗教としてのユダヤ教はこの教えから逸れたものとしてイエスの教えと対置される。

一方、1980年代以降、福音書の原資料として想定されるQ資料仮説に基づき、終末論をイエスの思想の核とは考えず、イエスをキュニコス派犬儒学派)的な知恵の教師とみなす研究者も現れ(バートン・L・マック他)、ある程度の数を占めるようになった。


史的イエスの課題


「イエス」と「キリスト」概念

「イエス」と「キリスト」は、キリスト教成立以前の時代には別個の概念であった。

日本語の「イエス」(「イエズス」「イイスス」とも)に相当する古典ギリシア語のイエースース(?ησο??, I?s?s)は当時のユダヤ社会では普通に見られた固有名である。イエースースはアラム語イェーシューア(????, Yeshua)、ヘブライ語のイェホーシューア(??????????, Yehoshua、日本語ではヨシュアと音訳)のギリシア語音訳である。『旧約聖書』にも「ヌンの子ヨシュア」および「シラの子イエス」などの名前が見え、また同時代資料にもナザレのイエス以外の何人かの「イエス」についての言及がある。

これに対し、「キリスト(Χριστ??, Khristos)」はユダヤ教の王・祭司、転じて救済者を表すメシア(原義・香油を注がれた者)をギリシア語に意訳した語で、本来は称号である。(詳細はイエス・キリストキリストを参照)。

したがって、両者が結合した「イエス・キリスト」とは「救済者としてのイエス」を意味することとなる。これは厳密にはキリストの救済を信じる信者にのみ意味をなす言葉である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki