台湾独立運動
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香港を拠点として活動した人物

廖文奎(1905年-1952年):第二次世界大戦後の早期に台湾民族主義思想の理論を築き上げた運動家。1950年代に「台湾再解放連盟」が発表した『福爾摩沙發言(Formosa Speaks)』の著者。

廖文毅1910年-1986年):第二次大戦後の最初期に活動した運動家。1948年に香港で「台湾再解放連盟」を成立させ、後に日本へ渡る。

謝雪紅1901年-1970年):「台湾再解放連盟」の創始者の一員。二二八事件後に台湾から逃れてきた。


日本を拠点として活動した人物

廖文毅1910年-1986年):第二次世界大戦後の最初期に活動した運動家。1956年東京台湾共和国臨時政府を樹立させ、初代大統領に就任。後に台湾国民政府へ「投降」。

陳智雄1916年-1963年):元台湾共和国臨時政府の東南アジア巡回大使。自己の政治信念を貫いたがために、1963年に台湾国民政府によって銃殺される。そこから、「少しも死を恐れない台湾独立の勇士(視死如歸的台獨勇士)」と称される。

辜寛敏:日本における台独運動の重要な指導者。『台湾春秋』、『黒白新聞週刊』などの雑誌を創設し、台湾青年会の委員長を歴任。現在は中華民国総統府で資政。

郭栄桔:日本における台独運動の指導者であり、事業に成功した企業家。世界台湾同郷会連合会の元首任会長。

侯栄邦:日本における台独運動の指導者。台湾独立建国連盟(台独連)日本本部中央委員を歴任。

黄文雄 (評論家):現任の台独連日本本部委員長。日本に滞在する有名な台湾人作家であり、中国史に関する著作などを日本語で40冊以上執筆。その印税のほとんどは台独連へ献金されている。

黄昭堂(1932年-):現任の台独連総本部主席。昭和大学名誉教授。戒厳令時代から岸信介等日本側要人ともしばしば接触し、日本政府へも影響力を持っていた。

羅福全(1935年-):現任の亜東関係協会会長。

金美齢1934年-):日本における台独運動の指導者。中華民国総統府国策顧問、台独連総本部中央委員を歴任。他にも、JET日本語学校校長、「学校法人柴永国際学園理事長。

史明1918年-):独立台湾会の創始人にして、『台湾人四百年史』の著者。台独運動左派の代表的な人物。

王育徳(1924年-1985年):台独連日本本部の前身である台湾青年社を組織し、『台湾青年』を刊行。

盧千恵1936年-):現台北駐日経済文化代表処代表許世楷の夫人、児童文学者。日本留学中に夫ともに台独運動に参加。

許世楷1934年-):現任の現任の台北駐日経済文化代表処代表にして、台湾建国党主席、台独連総本部主席を歴任。

林建良Eメールマガジン『台湾の声』の編集長にして、日本における台湾正名運動の発起人。在日台湾同郷会会長を歴任。

邱永漢:直木賞作家であり、台湾青年独立連盟中央委員を務めたこともあったが1972年に運動から離脱。


北アメリカを拠点として活動した人物

翻訳中


ヨーロッパを拠点として活動した人物

盧修一(1941年-1998年):1983年に独立台湾会事件で台湾国民政府に逮捕され、裁判で感化教育3年の刑を受ける。


台湾を拠点として活動した人物

謝雪紅1901年-1970年):日本統治時代台湾共産党日本共産党台湾民族支部)を設立した人物の一人。二二八事件では「二七部隊」を指揮し、後に台湾国民政府の追及を受けて香港へと逃れる。

高俊明:元台湾キリスト長老教会総幹事。1970年代に3回の『国是声明』を出して、「台湾を新しく独立国家とする」ための有効な措置をとるよう台湾国民政府に求めた。

黄紀男:著名な台独政治犯。廖文毅の台独運動と関連して台湾国民政府に三度逮捕され、22年間にわたって投獄された。

黄華:中華民国總統府の現任1国策顧問。台湾本土で台独運動に参加し、政治的抑圧を受ける。

黄信介:前民主進歩党主席。美麗島事件で抑圧を受けるも、後に台北市議会議員、立法委員(日本の国会議員に相当)に当選。

辜寛敏日本における台独運動の重要な指導者。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki