台湾民主国総統
唐景?(1895年5月25日 - 1895年6月5日)
劉永福(1895年6月5日 - 1895年10月21日)
台湾民主国主要官員
民主大将軍:劉永福
団練史:丘逢甲
議院議長:林維源
議院議員:陳雲林、洪文光、白其祥
内務大臣:兪明震
軍務大臣:李秉瑞
外務大臣:陳季同
遊説史:姚文棟
台北知府:兪鴻、黎景嵩
淡水知県:凌汝
新竹知県:王國瑞
埔里社庁通判:温培華
台湾知県:史湾道
代理安平知県兼護府道印:忠満
雲林知県:羅汝沢
鳳山知県:盧自鑠
基隆庁同知:方祖蔭
南雅庁通判:宋維?
苗栗知県:李?
彰化知県:羅樹?
嘉義知県:孫育満
台東州知州:胡伝
恒春知県:欧陽?
この短命政権に対し、歴史学者の間でも評価が分かれている。
先ずは欧米で散見される「共和国」の人工性を強調する視点であり、これらは清朝の官僚に主導され、国際的な支持を得ることで台湾に日本の権益浸透を阻止することに主眼を置き、清朝に忠誠を尽くし、一般の台湾人の支持は得られていなかったとするものである。李筱峰の主張によれば台湾民主国は台湾独立運動の嚆矢とは言えず、清朝の官吏が日清戦争敗北後に台湾を講和条件に提起したことに対する住民の反発を恐れたため、台湾における反日運動を計画、住民に対し日本軍の占領と、清朝は台湾を放棄した訳でない事を印象付けるための行動と分析される。
次に中国の民族主義者に多く見られる傾向であるが、台湾民主国を中国人による抗日運動の一環と位置づけ、台湾の主権問題を中国に帰属させる視点である。黄秀政や頼建国らは台湾民主国を台湾独立を画策したものでなく、清朝に帰属させるための過渡期であったと評価している。
この対極に位置する台湾独立派の歴史家の視点を紹介すると、その代表人物とされる史明は台湾民主国は独立自主を標榜したが、その代表の思想は台湾の大衆とは一致するものではなかった。全ての政治目標は清朝の統治下の中国の枠組みを超えることはなかったと評価し、王育徳も台湾民主国の独立宣言に「恭奉正朔,遙作屏?(清の暦を用い、戸籍に入る)」という一文が含まれていることから、その独立の精神に懐疑的な意見を発表しており、統一派と類似した見解を述べている。
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カテゴリ: 台湾の歴史 | 台湾民主国
更新日時:2008年8月4日(月)20:08
取得日時:2008/08/18 22:05