台湾原住民族にとって刺青は通過儀礼の一つである。顔面や体に刺青を彫ることにより大人社会への仲間入りを認められるのである。 現代台湾ではこの風習がなくなり、刺青に対する風潮は肯定的ではない。但し世界的潮流の影響で、一部の台湾の若者にとって刺青はファッションの一種であり、西門町などに行けば若者向けに刺青を彫る店が繁盛している。
出草(首狩り)
台湾原住民族(タオ族全体とアミ族の一部を除く)には、言語の通じない人間の首を狩る風習がかつてあった。これを台湾の漢人や日本人は「出草」と呼んだ。その名のとおり、草むらに隠れ、背後から襲撃して頭部切断に及ぶ行為である。狭い台湾島内で、文化も言語も全く隔絶した十数もの原住民族集団が夫々全く交流することなく、モザイク状に並存し、異なる部族への警戒感が強かったためである。漢民族による台湾島への本格的移住が遅れた要因として、この出草の風習を抜きに語ることは出来ないという説もある。首狩りそのものが「一人前の成人男子」の通過儀礼とされ、或いは狩った首数により同族社会集団内で尊厳を誇示した。ただしこの習慣はほかにもマレー系、南米先住民族の一部などにも見られる。
出草は史料から見る限りでは、弓矢や鉄砲などによって対象者を背後から襲撃した後に刀で首の切断におよぶもので、対象と勇敢に格闘を行った末に首を切り取るというケースはあまり見られない。なお獲得した首は村の一所に集めて飾る。彼等の論理では対象者は領土侵犯を行なった者である。しかし、日本植民地時代初期には、沖縄からの行商の女性達が山野にて出草の被害者となるケースが多かった。
乙未戦争で日本が台湾を征服し、領有してからは、台湾総督府による理蕃政策により首狩りの風習は犯罪行為として厳しく禁じられた。しかし一方で原住民族蜂起の鎮圧に際して、蜂起を起こした原住民に対する出草を容認(黙認)する事を見返りに他の原住民に協力を求めるケースも多かった。特に霧社事件後に行われたタイヤル族鎮圧の際には、霧社事件で日本人殺害にかかわった者の首に高額の懸賞金をかけ、出草を煽った。
霧社事件が沈静化して以降、出草は減少する。これは出草に対する取り締まりが厳しくなった事もあるが、皇民化教育・理蕃政策の進展によって「日本人」「文明人」というアイデンティティを持たされた原住民らが、出草という風習を放棄したとする説もある。
台湾総督府史料などを元にした説によると明治29年(1896年)から昭和5年(1930年)までの間、出草の犠牲者はおよそ7000人に上るとされている。なおこれらの犠牲者は、原住民同士によるものを除くと、多くは台湾平地漢人であったようである。
日本統治時代末期になると出草はほとんどみられなくなるが、完全に出草という風習が消滅するのは中華民国時代になってからである。
出草をめぐって、阿里山原住民に関する呉鳳説話は、清朝時代末期につくられ、日本統治時代に広められて有名になったが、1980年代以降の原住民族権利運動の過程で、その差別性が糾弾され、現在では話題にならなくなりつつある。
参考文献
日本順益台湾原住民研究会・編『台湾原住民研究への招待』(風響社、1998年、ISBN4-938718-19-7C1039)
外部リンクウィキメディア・コモンズには、 ⇒台湾原住民 に関連するカテゴリがあります。
⇒行政院原住民族委員会(中国語)
⇒順益台湾原住民博物館(中国語)
⇒平埔族群文化資訊網(中国語)
⇒原住民10民族紹介(英語)
台湾原住民
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カテゴリ: 台湾原住民
更新日時:2008年8月6日(水)02:24
取得日時:2008/08/13 03:19