古賀政男
★制服でHなバイト★
1日5万円★日払い★

[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]


幼少期

1904年(明治37年)に福岡県三潴郡田口村(現、大川市)に生まれた。近くには水の都柳川があり、その風景は後年の『誰か故郷を想わざる』のモチーフになった。7歳で父が死亡、田口村を離れ、朝鮮に渡り感情起伏の激しい少年時代をすごした。故郷喪失の悲しみは「人生の並木路」のモチーフとなったが、最初は仁川に、その後京城で暮らした。従兄弟から大正琴をもらったのもこの頃である。古賀政男が初めてマンドリンを手にしたのは中学三年(京城善隣商業学校)のときで、一番仲のよかった兄からマンドリンを送られた。


青年期

京城善隣商業学校を出て大阪の商店に勤めたのち、1923年(大正12年)に東京の駿河台にある明治大学に入学し、明治大学マンドリン倶楽部の創設に参画した。当時の明大マンドリン倶楽部は、ボッタキアーリ、ラウダス、バッチなどのマンドリンの大曲が演奏されていたが、古賀も「幻想的狂想曲」(ロマーノ)の難曲を独奏するなどの活動が見られている。1928年(昭和3年)夏には自殺未遂を図る。蔵王の夕暮れを見て「影を慕いて」の詩が浮かんだと言われている。その年の秋の定期演奏会は明治記念館講堂で開催されたが、このとき佐藤千夜子と知遇を得た。また、このとき「音楽は和也」の理念が生れた。1929年(昭和4年)6月、明大マンドリン倶楽部の定期演奏会で『影を慕いて』(ワルツ・ギター合奏)を発表。その年の暮れには、佐藤千夜子の歌唱とマンドリンオーケストラを率いて、「文のかおり」など自作品をビクターで吹込んだ。1930年(昭和5年)秋には『影を慕いて』をビクターで佐藤千夜子の歌唱によって吹込む。この時は、まだマンドリン・ギター演奏家「古賀正男」だった。1931年(昭和6年)1月、新譜でレコードは発売されたが、売れ行きは芳しくなかった。尚、『影を慕いて』の創作過程については、菊池清麿による古賀政男の研究評伝に詳細に記されている。


作曲家としての誕生・活動

大学卒業後の1931年、日本コロムビア専属となった。当初作曲に自信が無く文芸部の社員を希望したが、結局作曲家として契約した。この時、東京音楽学校在籍時の藤山一郎と出会ったが、『酒は涙か溜息か』、『丘を越えて』、『影を慕いて』の3曲がSPレコードで発売され、以降多くのヒット曲を世に出した。(なお、藤山は東京音楽学校卒業後、ビクター専属となる。)

1933年(昭和8年)には、松平晃が歌唱した『サーカスの唄』がヒットしたが、直後離婚騒動などもあり、体を壊し、1933年の晩秋から翌年にかけて伊東で静養した。翌1934年、コロムビアからテイチクに移籍したが、ビクターから迎えた藤山一郎、ディック・ミネ楠木繁夫美ち奴などを擁し、『緑の地平線』『二人は若い』『東京ラプソディー』『あゝそれなのに』『青い背広で』『人生の並木路』などの作品はヒット曲となった。

1938年(昭和13年)秋、外務省の音楽文化親善使節として渡米。渡米直前にコロムビアに復帰した。1939年(昭和14年)秋、アメリカNBC放送で古賀の作品が取り上げられた。帰国後は『誰か故郷を想わざる』『目ン無い千鳥』『新妻鏡』『なつかしの歌声』等がヒット曲となった。


戦後の活動

戦後の1948年(昭和23年)に近江俊郎が吹込んだ『湯の町エレジー』がヒット。同年には「古賀ギター歌謡協会」(後の古賀ギター学院)を設立した。

1960年代には過去に自らの前で「悲しき竹笛」を歌った、美空ひばりの歌の作曲を手がけた。1965年(昭和40年)発表の『柔』は日本レコード大賞を受賞し、翌1966年(昭和41年)発表の『悲しい酒』もヒット曲となった。

作曲活動の傍らで1959年(昭和34年)には日本作曲家協会を創設。初代会長となった。晩年の1974年(昭和49年)には『広島平和音楽祭』を開催した。

1978年(昭和53年)7月25日に永眠。直後の8月4日国民栄誉賞を贈られた。


主な作品

丘を越えて(1931年) 歌:藤山一郎

酒は涙か溜息か(1931年) 歌:藤山一郎

私此頃憂鬱よ(1931年) 歌:淡谷のり子

影を慕いて(1932年) 歌:藤山一郎

強くなってね(1933年) 歌:渡辺光子

サーカスの唄(1933年) 歌:松平晃

ほんとにそうなら(1933年) 歌:赤坂小梅

夕べ仄かに(1935年) 歌:松島詩子

緑の地平線(1935年) 歌:楠木繁夫

東京ラプソディ(1936年) 歌:藤山一郎

男の純情(1936年) 歌:藤山一郎

女の階級(1936年) 歌:楠木繁夫

ああそれなのに(1936年) 歌:美ち奴

うちの女房にゃ髭がある(1936年) 歌:杉狂児・美ち奴

青い背広で(1937年) 歌:藤山一郎

人生の並木路(1937年) 歌:ディック・ミネ

のばせばのびる(1937年) 歌:楠木繁夫

青春日記(1937年) 歌:藤山一郎

人生劇場(1938年、1959年) 歌:楠木繁夫(1938年版)、村田英雄(1959年版)

誰か故郷を想わざる(1940年) 歌:霧島昇

なつかしの歌声(1940年) 歌:藤山一郎・二葉あき子

新妻鏡(1940年、1965年) 歌:霧島昇・二葉あき子(1940年)、島倉千代子(1965年)

紫紺の歌(明治大学第一応援歌)(1941年) 歌:霧島昇

そうだその意気(国民総意の歌)(1941年) 歌:霧島昇・松原操李香蘭

南の花嫁さん(1942年) 歌:高峰三枝子


■毎日更新無料動画!
■未公開流出画像満載

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:19 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki