古文
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展開

古文経伝を奉ずる学問を古文学(こぶんがく)または古文経学(こぶんけいがく)という。前漢末の劉?が提唱したもので、当初は今文学が普通であったため主流ではなかったが、王莽朝で学官に立てられるなど徐々に頭角を現した。

後漢では王莽政権を否定するため、古文経伝に学官が立てられることはなかった。そのため、古文学は在野で行われ、経文の一字一句を解釈する訓詁学を発展させた。五経博士を主体とした今文経学が一経専門で家法の伝授を墨守し、他経にまで通ずることがなかったのに対し、古文学は博学でさまざまな理論を取り入れつつ、六経全般を貫通する解釈学構築を目指した。そのなかで今文と古文を字体の差異に還元し、字形にもとづく解釈学を発展させた許慎の『説文解字』も生まれている。また鄭玄三礼を中心に六経に通ずる理論体系を打ち出し、後漢の経学を集大成したのである。この結果、完全に今文経学の伝承は途絶え、儒学は古文学の独擅場となった。

しかしこのように一本化されたことによって、逆に代になると今文古文の差異が重視されなくなり、その存在感に影が差し始める。宋代になると一字一句にこだわる訓詁学に対して異議が唱えられ、字義よりも思想内容を重視した朱子学などの新しい経学が生まれた。

しかし、代になると朱子学の解釈学が主観的すぎるとの批判がおこり、乾嘉の学考証学)では、古文学をもとに漢学の復興がはかられた。その後、常州学派今文学を重視し、古文経伝は劉?の偽作と主張された。


古文経伝

古文学では六経の順序を『』『』『』『』『』『春秋』とする。漢代の古文経伝には次のようなものがある。

「古文易」 - 今文易と大差はないが、前漢末、劉向が今文三家易を宮中の古文易で校合したところ今文易経には「無咎悔亡」が脱去しており、民間の費直が伝えた「費氏易」だけが古文易と同じであったという。現行本『易経』のテキストは、費氏本をもとにしたの王弼の『周易注』である。

古文尚書」57篇 - 孔子旧宅の壁中から発見され孔安国が伝えたものなどをいう。「今文尚書」より16篇多い「逸書」が存在した。代、永嘉の乱で散佚。現行本『書経』のテキストは、東晋の梅?(ばいさく)が献上した「偽古文尚書」である。

「毛詩」29巻 - 前漢の毛亨・毛萇が伝えた。現行本『詩経』のテキスト。

「周官」6篇 - 現行本『周礼』のテキスト。

「礼古経」56篇 - 『儀礼』の古文経。現行本『儀礼』のテキストは、鄭玄今文の高堂本と礼古経を校合してできたものという。ただし、礼古経は56篇であり、高堂生が伝えた今文経17編より39篇多いが、この39篇は散佚し『逸礼』といわれる。

「春秋古経」12篇 - 単独では現在に伝えられておらず、『春秋左氏伝』に付随して伝えられている。「春秋古経」と「春秋左氏伝」を配合したのは西晋杜預とされる。他の二伝が伝える『春秋』よりも2年分多い哀公十四年まで記載されている。

「春秋左氏伝」30巻 - 現行本『春秋左氏伝』のテキスト。

「古論」21篇 - 古文の『論語』。孔子旧宅の壁中から発見された。現存しない。現行本『論語』のテキストは、後漢張禹今文の「魯論」を中心に同じく今文の「斉論」と校合して作った「張侯論」をもとに、鄭玄が「古論」と校合して作ったという『論語注』である。

「古文孝経」1篇 - 孔子の旧宅壁中から古文尚書とともに発見され、孔安国が伝を作った。代に散佚。代に再発見されたものは偽書の疑いが高いという。これも中国では代に散佚した。日本代に輸入されたものがあるが偽書とされる。
カテゴリ: 経書 | 漢字書体

更新日時:2008年9月13日(土)15:14
取得日時:2008/10/06 12:02


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki