日本列島で大規模な古墳が築造された3世紀半ば過ぎから7世紀後半にかけての時期には、朝鮮半島でも墳丘をもつ古墳が盛んに造営された。中世では城郭として活用された古墳もあって、一部改変された古墳(黒塚古墳)などがもある。
高句麗で最大の古墳は中国集安(しゅうあん)の大王陵である。方形の積石塚で一辺63メートル、周りには一辺320メートルの土塁が巡らされている。また平壌の江西(こうせい)大墓は7世紀の壁画古墳として有名である。一辺60メートルの方墳。
日本では仁徳天皇陵など皇室の墓所と比定されている多くの古墳は現在宮内庁の管理下にあり発掘許可がなかなか下りない事が考古学研究の遅れる要因となっている。なお「○○天皇陵」といった呼称は、江戸時代の儒学者、国学者などの手による文献研究を踏襲し、明治時代に宮内省が比定しただけである。その後のめざましい考古学研究の進展により緻密な編年作業が進展し、考古学者の比定と齟齬が生じているものも見られる。天皇陵の呼称はあくまで便宜的な名称であり、現在学問的に実証されたものではない。
また、環境の影響という面でも高松塚古墳壁画劣化の例に顕著なように、外部者が持ち込んだ物が汚染を招くという事態が多くなっている。観光化に伴うこうした例は地域振興と密着しているため根絶を求めるのは難しく、古墳や景観の保護のためできるだけ環境負荷を最小限に留めるのが今後の課題となっている。
一般に遺跡の名称は、その所在地の大字(おおあざ)や小字(こあざ)を付けることを原則にしている。例えば、登呂遺跡とか唐古・鍵遺跡などがそうである。古墳も例外ではないが、古墳自体に「○×塚」、「○×山」などの名称がもともと付いていることが多く、字名も同じである場合が多い。しかし、単に八幡山、稲荷山、大塚山、茶臼山、車塚、船山、宮山などと称する地名は各地にいくらでもみられ、時には同郡、同国内に複数存在する場合もあるので、どこの八幡山かを区別するために、井辺八幡山古墳、埼玉稲荷山古墳、江田船山古墳、百舌鳥大塚山古墳などと大字またはそれより上位の地名を付して呼称するのが通例である。壱岐市では掛木古墳や平山古墳など、元々の土地の所有者の苗字を古墳名をつけると言う特殊な例も見られる。
古墳研究において業績を残した外国人に、イギリス人ウィリアム・ゴーランド(William Gowland)がいる。彼は、造幣局の鎔銅担当技師として招聘され、後に局長顧問を兼ねた。彼は、1872(明治5)年から1888(明治21)年の16年間の滞日中に、本務の余暇をみてはこつこつと古墳研究を進めていた。彼の古墳研究のことは当時、日本人の間ではほとんど知られていなかった。
彼が帰国してから『日本のドルメンと古墳』(The Dolmens and Burial Mounds in Japan,1897)と『日本のドルメンとその築造者』(The Dolmens of Japan and their Builders,1889)とを発表した。日本の古墳の中でも特に彼を引きつけたのは、巨石を使って構築された横穴式石室であった。彼が調査した横穴式石室は460で、そのうち実測図を作成してデータを計測したのは130である。調査地域は九州から関東の15府県に渡っている。
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日本の古墳一覧
埴輪
辰砂
朝鮮半島の日本式古墳
古墳GALのコフィー
蒲生君平
外部リンク
⇒デジタル古墳百科
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カテゴリ: 古墳 | 考古学 | 遺構
更新日時:2008年10月2日(木)00:39
取得日時:2008/10/06 00:36