こうした中で発生したペルシャ戦争でその戦力の真価が遺憾なく発揮された。アテナイとスパルタを中心とする古代ギリシアの連合軍は、20万とも50万とも言われるペルシャ軍を撃退する。このペルシャ戦争の過程で、アテナイが強大化してギリシアの覇権を握る。
紀元前5世紀中ころから紀元前4世紀中ころまで、ペロポネソス戦争やレウクトラの戦いなどポリス間の攻防が繰り返され、アテナイに代わってスパルタ、テーバイへとポリス内での覇権は移行していった。
紀元前4世紀中ころになると、辺境にあって半ば他民族扱いされていた古代マケドニア王国が優勢になり、紀元前338年、カイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破ってギリシアの覇権を握るとポリスは独自性をなくしていった。
古代マケドニア王国はフィリッポス2世の暗殺の跡を継いでアレクサンドロス大王がダリウス3世のアケメネス朝ペルシャを征服してインド西北部まで侵入し、ヨーロッパ・アフリカ・アジアに至る大帝国をうち立てた。
大王の急逝の後ディアドコイたちがその遺産を継承し、2世紀に渡って古代ギリシア文明と古代オリエント文明を融合したヘレニズム文明が各地に拡散して、後にギリシアを征服した古代ローマをも含めて影響を与えた。
また、7世紀以降の東ローマ帝国ではギリシア人居住地域が領土の大半を占めるようになったために、帝国自体が徐々にギリシア化。中世末期までヘレニズム文明を受け継ぐこととなった。
古代ギリシア人はそれぞれポリスを成立させて互いに対立する関係にあったが、ともに自らをヘレネス、他民族をバルバロイ(意味の分からない言葉を話す者)と呼んで区別した。ヘレネスとは神話中のデウカリオーンの子ヘレーンの子孫であり、ギリシア人は共通の祖先を持ち、共通の言葉を話すものと考えられたのである。
古代ギリシア人はギリシア神話 を共有しゼウスを頂点とするオリュンポス十二神・デルポイの神託を信じ、 オリュンピア・イストモス・ネメアー・デルポイで開催された祭典には全ギリシア人が参加して競技を行った。祭典は運動競技のほかに演劇や音楽も競演された。
古代オリンピア競技は現代のオリンピックに影響を与えている。
戦士であり政治家でもある古代ギリシア人は労働を蔑み女性や奴隷に任せて、体力の鍛錬と政治談義に日々を過ごし、その中でギリシア哲学や科学が発達した。また年長者が精神的・肉体的に年少者を一人前に教育することが理想とされ、少年愛が公然と行われ軍隊の中に「同性愛隊」も存在した。
古代ギリシアの社会では古代ローマ同様に多くの奴隷が使用されて国家を支えた。アリストテレスも「奴隷は言葉を喋る道具であり、牛馬と同様に人間に貢献する」と言って憚らなかった。戦争でも奴隷の獲得が重要な目的のひとつであった。奴隷の中には借金を通じて債務奴隷になるものもおり、これは後のソロンの改革時に改善される事になる。
ギリシアは地中海性気候でなおかつ土地がやせていて大河川も少なかったためにいわゆる二圃式の乾燥農業(一年ごとに休閑期を挟む)が行われていた。
穀物類は大麦・小麦が主であり、特に前者の生産が圧倒的であった(古代ギリシアが植民地を必要とした背景には小麦の需要を賄いたいという思惑があった。また、黍の栽培はごく一部でしか行われず、稲に至っては存在自体は知られていたものの栽培はされていなかったようである)。
一方、果実や野菜栽培は盛んに行われており、特にオリーブやブドウの栽培は多くの地域で行われていた。クレタ島やミケーネ文明の遺跡からはオリーブ油の倉庫跡が発見され、紀元前8世紀には葡萄酒の輸出記事が見られることからも分かる。
また農業専門書ではないものの、ヘシオドスの『仕事と日』は世界最初の農事暦とされており、クセノポンも『家政論』において農園経営論を説いている(ただし、後世の農学者・経済学者からは前者の内容の評価は高いものの、後者は実際の農業を理解していないと厳しい評価されている(特にマックス・ウェーバーからは酷評されている))。
カテゴリ: 古代ギリシア | ギリシャの歴史
更新日時:2008年9月19日(金)04:45
取得日時:2008/10/08 17:46
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