厚木市
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歴史


古代

神奈川県立厚木北高等学校建設予定地を含む荻野地区に縄文遺跡が発見されたことから、縄文集落の形跡が確認された。


中世

当市域から愛川町南東部にかけて毛利荘(もりのしょう)が置かれた。鎌倉幕府政所初代別当(長官)となった大江広元の所領となり、広元の四男・季光毛利氏を名乗る。鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて毛利氏は本拠地を安芸国高田郡吉田庄(現在の広島県安芸高田市吉田町)に移し,戦国大名近世大名に成長する。

鎌倉に近く、14世紀には、梵鐘生産量で日本一であった。


近世以降

江戸時代、当市域は幕府領(天領)・旗本支配地・領に細分された。時期が下るにつれて支配関係はより錯綜したものとなり、幕末の段階では市域内に存在した村のほとんどが複数の領主により支配される相給となっていた。

江戸時代後期、厚木村が下野烏山藩(大久保氏)の支配となり、相模国内の同藩飛地領を支配する役所が置かれる(厚木陣屋)。また、相模小田原藩(大久保氏)支藩の陣屋が中荻野村に置かれていた(荻野山中藩・大久保氏)。さらに幕末の段階で下総佐倉藩堀田氏、武蔵金沢藩(のち六浦藩)米倉氏、相模小田原藩が現市域内に領地を持っていた。

1868年 徳川氏駿府入封により荻野山中藩が支配していた駿河国内の領地の代替地として当市域内の旧幕府領・旗本支配地の多くが同藩領となる。

1867年慶応3年)当時の支配は以下の通り(村名の後の○は他の領主との相給であることを示す)。

下野烏山藩: 厚木村、林村○、下川入村○、飯山村○、温水村(ぬるみず)○、岡田村(うち下岡田村、上岡田村)、上荻野村

下総佐倉藩: 長谷村○、船子村○、上落合村○

武蔵金沢藩: 下津古久村○

相模小田原藩: 小野村○、戸田村○、下津古久村○

相模荻野山中藩: 中荻野村、下荻野村、三田村、妻田村

幕府領・旗本支配地: ※林村○、※下川入村○、※及川村○、※棚沢村○、飯山村○、※上古沢村○、※下古沢村、七沢村○、小野村○、岡津古久村○、※温水村○、長谷村○、※愛名村○、※愛甲村○、※恩名村○、※船子村○、※戸室村○、※山際村○、※上依知村○、中依知村○、下依知村○、金田村、※関口村○、※猿ヶ島村○、戸田村○、長沼村○、酒井村○、上落合村○、岡田村○、下津古久村○ (※は1868年に荻野山中藩領となった村)


1868年 旧旗本支配地が神奈川県に属する。

1871年7月 廃藩置県により旧荻野山中藩領が荻野山中県となり、中荻野村の旧陣屋が同県の県庁とされる。また旧烏山藩領は烏山県、旧佐倉藩領は佐倉県、旧六浦藩領が六浦県となる。

1871年11月 荻野山中県、烏山県、佐倉県、六浦県および神奈川県から足柄県に統合される。

1876年4月 足柄県から神奈川県となる。


人口


厚木市と全国の年齢別人口分布図(比較)厚木市の年齢・男女別人口分布図
■紫色は厚木市
■緑色は日本全国■青色は男性
■赤色は女性
総務省統計局 / 国勢調査2005年


行政


行政区域の変遷

1889年4月1日 - 厚木町制施行、愛甲郡役所が置かれる。依知村(山際村+中依知村+上依知村+下依知村+金田村+関口村+猿ヶ島村)・荻野村(上荻野村+中荻野村+下荻野村)・三田村棚沢村下川入村妻田村及川村林村小鮎村(飯山村+上古沢村+下古沢村)・玉川村(七沢村+小野村+岡津古久村)・南毛利村(温水村+長谷村+愛名村+愛甲村+恩名村+船子村+戸室村)が発足

1946年6月1日 - 三田村・棚沢村・下川入村・妻田村・及川村・林村が合併、睦合村

1955年2月1日 - 厚木町・睦合村・小鮎村・玉川村・南毛利村の1町4村が合併して厚木市発足。

1955年7月8日 - 依知村、中郡相川村を編入する。

1956年9月30日 - 荻野村を編入する。


歴代市長

代氏名就任年月日退任年月日
初代波多野元正1955年2月24日1959年2月22日
2石井忠重1959年2月23日1979年2月22日
3足立原茂徳1979年2月23日1995年2月22日
4山口巖雄1995年2月23日2007年2月22日
5小林常良2007年2月23日現職


行政機構


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki