南鳥島飛行場
ICAO 4レターコード:RJAM
IATA 3レターコード:MUS
滑走路:1,371 m×45 m(05/23)
管理:防衛省
RDO
118.7 MHz, 225.4 MHz
局名種類周波数識別信号
南鳥島NDB343 kHzML
歴史
約20万年前 - 隆起して島となる。
1864年(元治元年) - 米国船(ハワイ王国の宣教師船だという説もある)モーニングスター号が来訪。マーカス島と命名する。
1879年(明治7年) - 日本人が訪れる。
1896年(明治24年)6月30日 - 水谷新六が到達、母島より46人が移住し、集落に「水谷」と命名。
1898年(明治26年)7月24日 - 「南鳥島」と命名され、東京府小笠原支庁に編入される。
1902年(明治35年) - アメリカ合衆国が領有を試みてハワイから軍艦を出航させるが、それを察知した日本も軍艦を派遣し、先に上陸して牽制。島で小競り合いが起こったが、最終的には和解して日本領が確定。
1933年(昭和8年) - 全島民が撤収、無人島になる。
1935年(昭和10年) - 海軍気象観測所開設。
1942年(昭和17年)3月4日 - 太平洋戦争中、ハルゼー中将麾下の米第16任務部隊(空母エンタープライズ旗艦)により、南鳥島は東京府内で初めて空襲を受けた。その後も1943年(昭和18年)8月31日など何度も空襲を受けた。
1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行。(東京府廃止)
1945年(昭和20年) - アメリカ軍が占領。
1952年(昭和27年) - サンフランシスコ条約によって、アメリカの正式軍政下に入る。
1968年(昭和43年) - アメリカより返還され、東京都小笠原村に属する。
一般市民の定住者はいない。気象庁(南鳥島気象観測所)、海上保安庁(南鳥島ロランC局)、海上自衛隊(南鳥島航空基地)が施設を持っており、居住者はこれら機関の職員のみである。
往来・補給のために1380 mの滑走路があり、島の一辺は滑走路だけである。船の波止場もあるが、浅いサンゴ礁に阻まれて大型船は接岸できないため、大型船は沖合いに停泊し、そこから船積みの小型ボートで島にやってくる。海上自衛隊は、島に7 m型の交通船を所有している。
かつては、アメリカ合衆国の沿岸警備隊が電波航法施設ロランC局を運用していた。現在は海上保安庁千葉ロランセンターが業務を引き継ぎ運用している。213 mのアンテナから1.8 MWの送信出力でロランパルスを発信している。
島に駐在する職員のため、航空自衛隊のC-130H輸送機が月に1度、海上自衛隊のYS-11が週に1度、食料の補給や荷物の配達のために飛来する。また、不定期で海上保安庁のYS-11が利用されることもある。物資等の輸送だけではなく、交代の職員もこれらの飛行機を利用する。硫黄島と共に郵便事業株式会社より「交通困難地」[1]の指定を受けており、南鳥島の住所を記載しても郵便は届かない。
所要時間はC-130が入間基地からの直行で約4時間、YS-11が厚木基地(自衛隊機)または羽田航空基地(海上保安庁機)から硫黄島を経由して約8時間。但し、絶海の孤島で周囲に緊急着陸が可能な飛行場が存在しないために、何らかの理由で着陸ができないと帰路に燃料不足の懸念がある。よって、確実に着陸可能である場合にしか飛んでこない。また半年に一度、海上保安庁の巡視船が南鳥島沖合に停泊し、その際、巡視船に搭載されているヘリコプターによる吊り下げ搬送で大きな荷物が島内に運び込まれる。
その他の情報
一般人は原則としてこの島には上陸ができない。上陸できるのは海上自衛隊・海上保安庁・気象庁の職員のみである。例外的に工事関係者など特別の許可を得た人間は上陸できるが、島内に宿泊施設はないので、資材搬入などで短期滞在する場合は沖に船を停泊させて寝泊りし、建設工事などで長期滞在する場合は自前で仮設住宅を用意することになる。
硫黄島とウェーク島から1,300km程度の等距離にあるため、かつてはアイランドホッピングで太平洋を横断するセスナ機の給油で使われることが多かった。現在では、航空機の性能向上により殆ど使われることはなくなったが、今も緊急着陸用飛行場に指定され、IATAの空港コードも設定されている。