横浜華僑6000人に対して神戸華僑は1万人を超えている。しかし、横浜中華街と比べると神戸南京町は随分と小ぶりである。実際に生活の場でもある横浜中華街と違い、神戸の南京町には居住者は少なく、ほぼ純然たる商業地となっているためである。関帝廟や神戸中華同文学校などの華僑関連施設は山手に点在している。実際の神戸華僑の居住地は、鯉川筋、トアロード、北野町などであり、神戸の有名な中華料理店の大半も南京町ではなく三宮など市内中心部に拠点を置いている。
これは、神戸では南京町が居留地ではなく雑居地に開かれた結果ではあるが、また同時に神戸華僑の人々が日本人社会と良好な関係を築いてきた証拠ともされる。神戸では、古くは呉錦堂に代表されるように事業に成功した者が多く、華僑といえば商売上手で裕福な者が多いとみなされてきたため、民族的対立も比較的少なく良好な関係を築いてきた。それゆえ、戦前の一時期南京さん等の言葉が侮蔑的に用いられた事はあったものの、南京町という名称は既に世間に広く認知されているとして戦後も変更しなかったとされている(横浜と長崎では、中華街に改称している)。
近年、春節祭(旧正月)などの主要な行事に、多くの日本人も参加している。当日には多くの市民や観光客が集まり、南京町のみならず神戸市の重要な行事にもなっている。また、最近では、華僑子弟の多くが通う中華同文学校に入学する日本人子弟も増加してきている。
2005年、北京や上海等で大規模な反日デモが起こった際、東京や大阪の中国関連施設に対していやがらせ等が発生したが、神戸の華僑関連施設ではほとんどそういう事は起きなかった。
1868年に神戸が開港し、外国人用の居留地が設けられた。当時、清国との間には通商条約を結んでいなかったため、華僑は居留地内に住むことを許可されずに、西隣に住み始めたのが南京町の始まりとされる。
1945年の神戸大空襲で全焼。戦後は主に進駐軍相手の歓楽街として復興したが、その名残もあって退廃化が進み、1970年代までは路地の舗装もされず、周辺には船員向けのバーが立ち並び、夜になれば売春婦が立つようなエリアとなっていた。
1981年(昭和56年)の「南京町復興環境整備事業実施計画」以降は広場や楼門の建造などの環境整備が行われ、一気に観光地化が進んだ。現在では南京町と呼ばれる区画も当時の二倍に広がり、新興や他地区から移転してきた中華料理店が続々と立ち並んでいる。
阪神・淡路大震災においても被害を受けたが復興を果たしている。特に、罹災直後から行われた店頭での軽食販売は好評を博し、現在も継続されて南京町の名物となっている。
交通アクセス
西日本旅客鉄道(JR西日本)・阪神電気鉄道
元町駅
神戸市営地下鉄海岸線
旧居留地・大丸前駅
近隣の名所・文化施設
旧居留地
神戸ドールミュージアム
大丸ミュージアム神戸
ジーニアスギャラリー
旧居留地38番館
神戸らんぷミュージアム
神戸市立博物館
旧居留地十五番館
旧雑居地
旧神戸住友ビル(現・銀泉神戸ビル)
神戸郵船ビル
神戸華僑歴史博物館
海岸ビルヂング(旧・日濠会館)
中突堤
ポ−トタワー
メリケンパーク
神戸海洋博物館
フィッシュダンス
参考文献
『神戸と華僑 この150年の歩み』神戸華僑華人研究会(2004.4.5) 神戸新聞総合出版センター
外部リンクウィキメディア・コモンズには、 ⇒南京町 に関連するマルチメディアがあります。
⇒南京町
⇒神戸華僑歴史博物館
⇒横浜チャイナタウン
⇒長崎新地中華街
世界測地系: ⇒34°41′17″N, 135°11′17″Eなどして下さる協力者を求めています(P:日本の地理/P:日本の都道府県)。