千葉県は、日本列島の丁度中心にあたり、県庁所在地である千葉市を中心にコンパスで円を書くと南西諸島以外の日本列島は半径1000?圏内に殆ど収まる位置にある。千葉県の大きな地理的特性としては、広義的には関東平野に含まれるが、その大部分は、東と南を太平洋、西は、東京湾と三方を海に囲まれた(房総)半島になっていることである。この地理的条件は、常に半島であることが重要視され、袋小路的な閉鎖性が近代に高まった陸上交通中心の見地から問題視されることも多いが、同時に、外洋に面していることから古来から開放的で外来文化が渡来しやすいという良い側面もあった。また、隣接する都県とは利根川、江戸川、東京湾、太平洋によって画され、古くは外敵の進入を防ぐ役割や覇者の起死回生の地としての役割を担ってきた。
千葉県の北半分は、大半が関東平野で、最も高い愛宕山でも海抜408m、平均海抜は約43mで都道府県の中で一番標高が低い県となっている。ちなみに、10メートル海面が上昇すると千葉県は本州沖合いに浮かぶ島のひとつになるという試算が国土地理院によって示されている[1]。 実際、数千年前までは、もっと現在より水位が高く、現在の千葉県の多くの低地が海面下で、南部の古東京湾と北部の香取海によって本州と分断されていた。
房総半島の東京湾側は内房(うちぼう)、太平洋側は外房(そとぼう)と呼ばれ、内房では近年埋め立てが進み、浦安市などでは面積が数倍に増えた。そのため県の面積が一時愛知県を上回っていたが、中部国際空港の建設に伴い再び愛知県の方が広くなっている。
地質的には北部が第四紀の沖積層、南部は第三紀層および白亜紀堆積層。
東京湾沿いは埋立地が多く、浦賀水道の対岸に三浦半島がある。太平洋沿いは九十九里浜が面し、九十九里平野が広がる。半島南部には房総丘陵、半島中央部には上総丘陵と上総台地 、半島北部には下総台地があり、これらの台地や丘陵には侵食によってできた谷底平野がみられる。一方で半島の北部から中部にかけて下総台地を囲む形で西に江戸川低地・東京湾岸低地、北に利根川下流低地、東に九十九里沖積低地が分布する。
利根川、夷隅川、栗山川、小櫃川、養老川、一宮川、小糸川、南白亀川、村田川、作田川、木戸川、塩田川
手賀沼、印旛沼、大利根用水、両総用水、成田用水、東総用水、利根運河、利根川河口堰、黒部川水門、北千葉導水路、房総導水路、行徳可動堰、江戸川水閘門(江戸川水門)
自然公園
国定公園
水郷筑波国定公園、南房総国定公園
県立自然公園
県立養老渓谷奥清澄自然公園、県立九十九里自然公園、県立印旛手賀自然公園、県立高宕山自然公園、県立嶺岡山系自然公園 県立富山自然公園、県立大利根自然公園、県立笠森鶴舞自然公園
県名の起こりは、廃藩置県後、間もなくに行われた県の統合の際に千葉郡千葉町に県庁が置かれたため、その地名が採用された。又、千葉地名がいつの頃に発生したのかは定かではないが、律令制以前の国造名(千葉国造)、律令制以来の郡名(千葉郡)に見られる。千葉地名の由来については、諸説あるが、一説によると「数多くの葉が繁茂する」の意で、(1)実り豊かな豊穣の地を示しているとも(2)たくさんの草木が生い茂る原野だったからとも(3)土地と子孫の繁栄を願っての地名だとも説かれる。なお、日本書紀と古事記の両書には、応神天皇が大和から近江に向かう途中、山城の宇治野の丘で遠く葛野一帯をのぞんでの国見歌で現れる「千葉の」は数多くの葉の意味で、葛の葉が良く繁栄したことから葛の枕詞として用いられたのだと、契沖以来考えられており、古代人が千葉地名に託した願いを知る上での重要な資料のひとつといわれている。